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これは大変だと思って新聞社にやや抗議の電話をしたようなことがございます。新聞の記事というのもだまされやすいですね。それから三番目に各種の統計というのがだまされやすい三つ目だそうです。統計のまやかしというようなことが言われますが、私もこのことでひとつ、新聞の統計欄でだまされたことがございます。ちょうど1年ほど前に政府の広報が新聞に載りまして、国民の生活満足度が84%だというふうに、大きな「統計が示す国民の満足度」ということで、84%の国民の方が現在の生活に満足をしているという、そういう統計が載っていたのですね。これはとても信じられなかった。不況の時代、さまざまな不安が渦巻く時代に84%もの国民の方が満足しているというふうにはとても思えなくて、その下に書いてある小さな解説を読みますと、なんと16%が「とても不満」と答えているのですね。そしてこの統計は16%の「とても不満」という人を100から引いて84という数字が出ます。それを「満足」というふうに定義をしているわけです。そうしますとその定義を読みますと、「不満」とか「少し不満」という人もその中に入っているわけですね。もちろん「満足している」とか「とても満足」という人も入っているわけですけれども、とにかく「非常に不満、とても不満」という人を除いたすべての人、それがその84%あるわけですけれども、それで満足度84%という、これはもう明らかにまやかしの統計ですね。

その先生の話を聞きながら、私はサマセット・モームの有名な言葉を思い出しました。ごくごく当たり前のことを言っていても、非常に有名な人がそのことを言いますとなんか不思議に納得するという性質を私たち持っているのではないかと思うのですが、サマセット・モームは「世の中にはさまざまな統計がある。その統計の中にはまやかしの統計もある。しかし、この世の中にただ一つ絶対に間違いのない統計がある。それは人の死亡率が100%であるという統計である」、こういうふうに言っているのですね。なんか「人は誰でも死ぬのですよ」ということをサマセット・モームはかなり持って回って、「人間の死亡率は100%である」というそういう表現をとっているわけですけれども、確かにこの「人間の死亡率は100%である」というこの統計に、「いや、その統計はちょっとおかしい」というふうに言える人はないわけで、この世に生を受けたものはただ一人の例外もなく死を迎えるわけですね。日野原先生のお話にもありましたけれども、本当に私たちは頭の中では死というものを考えたり、人間は死ぬということを観念的には理解しているわけですけれども、それについてしっかりと考えるというふうなことはあまりしないのではないかというふうに思います。堀秀彦という哲学者が非常に「老いと死」という文章の中で含蓄の深い言葉を書き残しております。ちょっと読んでみますと、「七十代までは歳ごとに私は死に近づいてゆきつつあると思っていた」。七十代までは自分が、死というのはだいぶ向こうにあって、自分が死に近づいていきつつある、そんな感じで日々を過ごしていた。「だから死ぬのも生き続けるのも私自身の選択できることがらのように思われた」。死が向こうにあって自分が近づいていくわけですから、時には少しペースを落としたり、考えないようにしたり、なんか自分で調節できるようなそういうふうな感覚を持っていたと。「ところが八十二歳の今」――この文章を書いたときには堀秀彦は八十二歳であったわけですけれども――「ところが八十二歳の今、死は私の向こう側から一歩一歩有無を言わさずに私に迫ってきつつあるように思われる」。最後の文章が本当にすごいと思うんですけれども、「私が日々死に近づいているのではない。死が私に近づいてくるのだ」、こういう文章なんですね。

 

 

 

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