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私はこの文章を読んだときに、「そうなんだろうな」というふうに思いました。やはり、かなり例外はあって、日野原先生などはその例外の第一人者なのかもしれませんが、八十を過ぎて明らかに自分の老いを感じるようになり、平均寿命に近づいてくると、自分が死に近づいているというのではなくて、死のほうから有無を言わさずにこちらに近づいてくるというような感覚があるのであろうというふうに思います。そういう意味では、老人というのは死を身近に感じている人たちであるというふうに定義をすることができるかもわかりません。

私たちはどうもやはり観念的には死ということを考えるわけですけれども、身近に、自分のこととして死を考えるということがなかなかできない。特に日本人はやはり、特に前世紀ですね、経済発展を非常にする中で、死を忘れて、死を無視して、死をタブー視して生きてきたのではないか。その中で死を忌むという、忌み嫌うという習慣、死というものを日常生活の中で語り合うというふうなことが家庭の中で行われない。それはやはり日常生活から死というのものが姿を消してしまったということと非常に関係をすると思うんですね。日常生活から死が遠ざかったというのは、いま日本人の80%の人が病院で死を迎えます。自宅で死を迎えることができるのは日本人の20%に過ぎない。日本人の死因の第1位はがんですけれども、だいたい年間30万人ぐらいの方ががんで死を迎えます。日本人はだいたい90万人、年間死を迎えますので、3人に1人はがんで死を迎える時代になりました。10年前まで、私、講演のときに「4人に1人はがんで死にます」というお話をしておりました。もう10年たって「3人に1人はがんで死にます」ということをお話ししないといけない、そういう時代になりました。3人に1人がんで死ぬというのはすごい確率です。ですから私も皆さんも将来、それこそ統計的にはがんで死ぬというそういう確率が一番高いわけです。3人に1人といいますと、「1、2、がん、1、2、がん、1、2、がん……」となるのですね。視線は合わなかったのであれですけれども、3番目の方は「がーん」と堪えたかもわかりません。がん死だけに限りますと、なんと95%の人が、これは日本の平均ですけれども、95%の人が病院で死を迎えているのです。自宅で死を迎えるがんの患者さんというのは5%に過ぎないのですね。これはおそらく世界一であろうと思います。世界一というのは、がんの死亡のうちで病院死が占める割合95%というのは、世界で一番高い数字であろうというふうに思います。

そのように、死ということが日常生活から姿を消してしまったので、死を身近に見る、おじいさん、おばあさんを家で看取る、おとうさん、おかあさんの死を家で体験するというふうな体験が少なくなり、いわゆる生きた教科書としての死が日常生活から姿を消してしまったということが、死のタブー視というふうなことに、また死を考えたくない、忌み嫌うというふうなことに関係しているのではないかというふうに思うわけです。

死を忌むというふうに言いましたけれども、日本語の漢字には何か意味があるのですね、不思議に。たとえば「男」というのは、これは本当かどうかわかりませんが、田んぼで力仕事をする人を「男」といったそうです。女の人でも、女偏に「良い」と書いて「娘さん」と読みますね。だから良いうちは「娘さん」というのはちょっと語弊があるかもわかりませんが、家つきになると「お嫁さん」になりますでしょ。これは間違いないですね。そして古くなってきますと、そうなりますですね。おばあさんになってくると、顔に波というシワが寄せてきて、波の女が「お婆さん」で、これは私の勝手な解釈かもわかりませんが。

 

 

 

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