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鈴木:はじめまして。東北大学の鈴木と申します。先ほどご紹介がありましたように、私自身が研究しているのは宗教学です。宗教学というと聞き慣れなくて、キリスト教ですか、仏教ですか、とかいう感じに思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そういう大きな既成宗教といわれる宗教も関係はあるのですが、宗教そのものを研究する神学ではなくて、実際の社会において宗教がどんなふうにあるのか、つまり「あるべき姿の宗教」を一生懸命に考えているのではなくて、「いかにあるのか」という観点から宗教を研究しています。とりわけ人類学とか民俗学と近いということで、民間信仰といわれるような一般の人々の信仰を対象としているということになります。

そういう中で「お墓」もやっているのですが、先ほどのご説明ではお墓だけを研究しているような誤解を受けるかもしれません。「お墓」も研究している、というつもりなのです。たとえばお墓を分析するとか、死者を供養する、祖先を祀るといったものを通じて、日本人の個人個人ではなく群れ全体の方向としてどんな死生観があり、どういうふうに動いているのかということに、近頃関心を持って研究しております。

「死」を思い「生」を思う、ということで死生観の話をする前に、どうしても見過ごすことのできないものがございます。死後、人は一体どうなるのだろうかという、いわゆる死後観念というやつです。これは人類にとって、非常に古くて回答の出ない大きな問題であると思います。時間を超え、空間を超えて、世界中いろんなところで思考されてきていますし、日本の神話の世界などを考えていただいてもよろしいかと思います。一体、死んだら人はどうなるのだろうか。この問題はいろんな方がいろんな形で悩んでこられています。そのことを簡単にまとめた方として、クリスチャンでもあり狐狸庵先生としても有名な遠藤周作さんがおられます。文学者でもある遠藤周作さんが、こんなまとめ方をしておられます。死後どうなるかという疑問を簡単にまとめると3つになる。ひとつは来世があるということ。ふたつめ、生まれ変わりがあるということ。そして3つめ、何もなくなるということ。これは先ほどの宮家先生と重なるところもあるかもしれませんが、来世の存在、生まれ変わり、無。これを参考にまとめてみますと、最初のふたつは、簡単に言うと死後も自己は存続するという考え方だと思うのです。それに対して3番目の無というのは、死後、自己は消滅してしまうということで、大きな違いはここにあるかと思います。

ひとつめの来世の存在というのは、この世があって来世があるという、二元論的な形で世界があるという認識です。この世があるとあの世がある。それに対して2番目の生まれ変わりがあるというのは、この世があって、あの世とやらへ行くのだけれど、またこの世に戻ってくるという円環的な形で世界があるという認識ではないかと思います。多くの宗教というのは、こういう考え方をすることが多いかと思います。

わが国の伝統社会においても、無ではなく、来世があるとか生まれ変わりがあるというふうに考えることが多いかと思います。その証拠に、調査をしていると「死んだら火葬にしないでくれ、焼かれると熱いから」とそういう言い方をする人が、おじいちゃんおばあちゃんたちの中にいることがあります。

 

 

 

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