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ところが、今度は聖路加看護大学の学生が、うちの大学で自分たちが劇団を作ってこの劇をやりたいと願って、私に相談に来たのです。それじゃあ演出と、主役をやってみようということになりました。大学の講堂ですからステージは小さいのですが、客席の椅子を一部取り外して、ステージとフロアを使ってやることにしました。学生は、「先生、演出と主役の哲学者になってください」というのです。童話屋から「『葉っぱのフレディ』を考える」という私の本を出版していましたから、そこに書いた私の脚本どおりにやるためには、90歳の哲学者が登場します。このキャラクターは、小児科医でいのちの成長を観察する医者であったけれども、75歳のとき耳が遠くなったので医師を辞めて、その後、いのちを考える哲学者になって今は90歳という設定です。その哲学者は、ボストン美術館で、あのゴーガンの絵の添え書きを読みながら、舞台が展開していくというものです。それを学生と一緒に練習を重ね、私は生まれて初めて役者になって、3回の舞台を務めたのです。セリフを覚えるのは大変でした。主役はセリフが多いのです。とにかく私はセリフを必死で覚え込みました。90歳を前にしてセリフを覚えたわけですからね。でもやろうと思うとできるのですね。

機会が皆さんに与えられたら、のってみることです。皆さんの中にはいろいろな染料があるでしょう。齢をとっていても、どこかで機会が与えられたら、それに乗って、皆さんらしく演じてみてください。皆さんらしく生きるということは、皆さんらしく死ぬということでもあって、最高の生き方がそこに出現するのです。

死は、生きることの答えなのです。死ぬことを考えるというよりも、皆さんが死に向かって生きる姿こそが、皆さんの死の姿であり、皆さんの人生を終える姿なのです。そして皆さんが、あるいは皆さんの愛する人が、苦難が多かったけれども、しかし私の生涯は、今のようにみんなに囲まれて死んでいくことは本当に感謝だ。生まれてきてよかったと思う、生まれてきて意味があったというように思えると、そういう言葉を残すことができれば、その人の子や孫や友人が、死んだお母さんが、自分の生涯は意味があったというのはどういうことなのかということを考えるのではないでしょうか。そのいのちというものが、子供や孫や友に受け継がれ、大きな宇宙の営みの中に循環していくのだと思えるのではないでしょうか。

皆さんがどのように生きていったらいいかと考える。他人事ではないのですよ。自分のいのち、自分の死を考える。それは同時に、人の死に対してどういうケアを与えられるかということにもなってくるでしょう。

どうかそういう意味において、皆さんが死を考えるということは、いやなことを考えると思うのではなしに、私たちが必ず通る道であるということ、それを私たちは考えながら、毎日の生活を積み重ねていくべきです。私たちはいつかは病み、いつかは死ぬのですが、そのお迎えの風が吹いたときに、いつでもその用意ができるようにしておくべきです。そのためにも、私たちは今の自分をどのように作り上げていくかを考え、実践することが必要なのです。

美しいコスモスが咲いております。

最後に私は、この言葉を皆さんに差し上げたいと思います。いま、コスモスというのは宇宙という意味でもあります。ぜひ宇宙の美をコスモスの花びらの中に発見してください。紅葉を見たりコスモスの花を見ることで、そこに宇宙があるということに思いを馳せてください。人間の心の目が、コスモスを見ることによって開かれます。そして私たちの心のためにこそ、私たちのいのち命があるのだと考えてください。私たちの体は、朽ちる土でできた器です。最後に残るものは私たちの心だけなのです。その心をどのように人々の中に残すか、これが私たちにとっての生涯の中で、一番の課題ではないか申し上げて、私の講演を終わります。

 

司会:日野原さん、どうもありがとうございました。皆様、今一度拍手をお送りください。

 

 

 

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