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ここにおられる皆さんもそれぞれ皆さんの色で染まります。だれ一人として同じ人はいないのです。みんな違う色に染まる。それは個性が違うからです。

木枯らしが吹き、葉っぱは次々と落ちていきました。そこでダニエルが言いました。「さあ、みんな引っ越しをするときが来たのだよ。とうとう冬が来たのだ。僕たちは一人残らずここからいなくなるのだ」。やがて梢は葉を落とし、残ったのはフレディとダニエルだけになりました。「引っ越しをするということは死ぬということでしょう」とフレディは聞ききます。ダニエルは答えるのです。「そのとおり。経験したことがないことはだれでも恐ろしいと思うのだ。でも考えてごらん。世界は変化し続けているのだ。変化しないものは一つもない。死ぬというのも変わるということの一つなのだよ」。そう言ってダニエルは散っていきます。フレディだけが残されました。次の朝、雪でした。明け方フレディは向かい風に乗って枝を離れました。痛くなく恐ろしくもありませんでした。そして空中にしばらく舞って地面に落ちていきました。フレディはダニエルから聞いた“いのち”という言葉を思い出しました。いのちというのは永遠に生きるのだ。裸にはなったが、たくましく大きな木のように。雪の上に落ちたフレディは雪の上に目を閉じ、眠りに入りました。冬が終わり春になりました。雪は融け、枯れ葉のフレディはその水に混じり、土に溶け込み樹を育てる力になるのです。いのちは土や根や木の幹に吸い上げられて新しい葉っぱを生み出そうと準備しています。大自然の設計図は、一分の狂いもなく、いのちを変化させ続けているのです。また春が巡ってきました。

 

機会を生かす

私は、この童話を「お母さん、お父さん、死ぬというのはどういうこと?」と子供が聞いたときに、その質問に答える言葉を持っていない若い両親、そしてまた死が接近しているようなおじいさん、おばあさんに読んでもらうには、これを音楽劇にしてステージで上演するのがいいのではないか考えました。私は本の出版元である童話屋さんに、脚本を書く人を紹介してあげましょうといいました。私は5年前にも、四ケ所ヨシさんという大先輩の看護婦さんの自叙伝を読んで、日本の多くの人にこの方の生き方を紹介したいと思って、私は脚色の人を探して、主役には竹下恵子さんを推薦して、東京の厚生年金で1週間、その看護婦さんの生涯を上演したことがあります。皇后陛下にもご覧になっていただきました。そこで、私は脚本家を紹介しようと言ったのです。そうしたら、童話屋さんが、「日野原先生、やってくれませんか?」と言われたのです。私は医学論文は3、200編も書いているのですが、脚本や小説を書いたことはありません。それが、「先生やってくれませんか?」と言われたときに、私の心の底に、やってやろうかなという気持ちが湧き起こりました。私は小さいときから劇や音楽も好きだったので、ミュージカルの脚本を書くという誘惑に駆られました。90歳近くになって、私にその機会が与えられたのです。何かに憑かれたようになって、私のアンテナがビッと響いたのです。

人間にはいろいろな機会があります。その機会に、いつ反応するかというのにも、それぞれ心の持ち方次第です。それではやってやろうかと思って、私は徹夜してでも書き上げようと考え、とうとうそれを完成させたのです。それは昨年1回、そして今年は大阪のフェスティバルホールで2回、そして東京の五反田のゆうぽうとで4回上演しました。

 

 

 

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