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講演2

「死の設計―日本の新往生考―」

 

宮家準

國學院大学文学部教授

 

司会:続きまして、「死の設計―日本の新往生考―」と題しまして、國學院大学文学部教授の宮家準さんによる講演をお聞きいただきます。ここで、皆様にお渡ししたレジュメの2行目に誤植がありましたことをお詫びいたします。宮家さんは、宗教学、主に修験道の分野で、日本の民俗宗教をテーマに研究を続けていらっしゃいます。一連の修験道研究に対して、67年には日本宗教学会賞、87年には秩父宮記念学術賞を受賞されていらっしゃいます。日本宗教学会の会長でいらっしゃいますが、そのほか、数多くの学会でもご活躍されています。また、慶應義塾大学名誉教授、日本学術会議会員でもいらっしゃいます。それでは宮家さん、よろしくお願いいたします。

 

宮家:ただいまご紹介いただきました宮家でございます。私は「死の設計」という題を出しておきました。先ほど日野原先生が、「死は一人ずつの人々がそれぞれの個性をもって迎えるのだ」ということをおっしゃいましたが、そうした死について、死んだあとの葬儀であるとかお墓であるとか、あるいは自分の死そのものについて日本人はどういうふうな設計をしてきたのだろうか。また、今後は、人々の考え方がそれぞれ変わっていきますから、どんな形の死の設計がありうるのだろうか。そういうことを考えてみたいと思います。副題につきましては、私は日野原先生と、このあとありますシンポジウムとの中継ぎのようなことを考えたものですから、中継ぎの意味で最初「死を見つめ今を生きる」という副題を出しておきました。そうしましたら、財団のほうから、同じじゃ困るので変えてほしいということで、往生いたしました。その時ふと、「往生」という言葉もあるなと思いまして、「新往生考」という副題をつけました。

「往生」という言葉は、皆さんご承知のように、今のような意味で使う、困ってしまって往生する、どうしようもなくなって困って往生する。そういうように用いられています。そこで私は、小学館の国語大辞典で「往生」という言葉を調べてみたのですが、そうしましたら、いくつかのものがありました。ひとつひとつ紹介すると大変ですから大きく分けますと、往生という言葉には3つの意味があるのですね。1つは、ご承知のようにこの世を去ること、これが常識的な往生の意味です。その際に、現在の世を去って、他の仏のいる浄土に生まれ変わること。その浄土というのが、弥勒菩薩を信仰している人ですと都率天の浄土ですし、観音を信仰している人ですと観音の補陀落浄土といいます。阿弥陀を信仰しますと阿弥陀の浄土といいます。そういう形で、ともあれ現在の世を去って、仏の世界に入っていく。あの世へ入っていく。そういうような意味が往生という言葉の第一の意味ですね。

第二の意味は、あの世に入っていくのではなくて、現在自分が生きているところ、現在生きているこの世で、死んだあと極楽へ行けるのだということを確信して、自分の心に安心感を持つといいますか、自分自身が現在生きているのだけれども、安心して、しっかりした信念を持って生きていく。そういうふうなニュアンス。あるいはまた、現在の世の中で、不退転の気持ちで生きていくことができるような信心を得ること。これも往生と呼んでいるのですね。

 

 

 

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