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学校内で援助チームを作り不登校を克服

《武蔵野国際総合学園横浜校舎》小槌陽一

 

不登校期間 中学2年5月〜高校2年7月 13歳男子

 

《家族構成》

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当事者について

A男は長男として生まれ、祖父と祖母、父親と母親のもとで育ちました。5歳の時に父親の転勤にともない、祖父母を残して神奈川県内に転居してきました。父親はとても体格のよいスポーツマンで、仕事熱心。母親はしつけにきびしい反面、A男が失敗をしないようにと、手をかけて育ててきました。幼稚園の先生からは「とてもやさしく、おとなしいお子さんですね」と言われていました。

小学校時代には肥満気味の体型ゆえか、体育が嫌いでしたが、休まず登校していました。またクラスの中では、A男と同じような「おとなしいタイプ」の特定のお友達と過ごすことが多く、目立たない存在だったようです。しかし中学校に入ってからは「やさしく、おとなしい」という性格から周囲にからかわれ、つらい思いをすることが多くなります。課内クラブの部長を無理に押しつけられたり、苦手な体育を見学している時にクラスメートからひやかされたり。そして中2の5月の連休後から夜中に胸が苦しくなり、ぜんそくの症状が続き、登校できない日が増えていきます。

登校しようとすると体の調子が悪くなり、なんとか教室に入ったとしても、クラスメートから自分がいつも見られているように思え、それを意識して、ひどく疲れてしまいます。当然頭も働かず、授業の内容にもついていけません。欠席を続けるA男に対して、無理な登校を強制していた両親でしたが、3学期より相談指導学級に登校するようになると、落ち着きを見せ始めます。中学校3年の時にも所属する地元の中学校には通わず、自分と同じように不登校をしている生徒が通っている相談指導学級へはほとんど休まず登校し、卒業後は通信制高校との技能連携校である本校に入学します。

 

―経過―

高校1年・4月より8月まで

「入学式に出られないんですけど、どうしたらいいんでしょうか」。不安と焦りの入り混じった母親の気持ちが、電話から伝わってきます。放課後の相談室。A男は「高校で新しい友達ができなかったらどうしようと不安になり、入学式には出られなかった」と言います。ひととおり話し終わるとやがて緊張がとれ、彼の希望もありふたりで所属クラスの教室に行き、「友達づくり」のリハーサルをすると安心してその日は帰って行きました。

その後、担任・副担任・養護・筆者とでA男への援助チームを作り、A男についての話し合いを定期的に行い、役割分担のもとで対応をしていくことにしたのです。

 

 

 

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