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両親が優しく語りかけたり、「将来がなくなる」とおどかしたりしても、変化は見られないまま時が過ぎた。母親はさまざまな所に電話相談をしたり、相談機関を訪れたが、何をしたらよいのかわからずに、悩みを深めるだけだった。

母親が、「友人から紹介されました」と、憔悴した表情でスコレーを訪れたのは2カ月を過ぎた時だった。「私の育て方の何がまちがったのでしょう。…せめて原因がわかれば、私たちがしなければならないこともわかるのですが…」と、自分を責めながら必死に話す姿は哀れだった。

「原因がわからない子もたくさんいます。登校拒否は、絶対に心配ないことです。育て方は大きな問題でないと思います。とにかく本人を励ましてあげたいので、連れて来てください」と話すと、少し安堵の表情で帰宅した。

翌日、澄夫は担任と両親に連れられて来た。澄夫に何を話しても無言なので、「何か聞きたいことはない?」と問うと、「勉強したい」と小声で答えてくれた。登校拒否の理由がわからなくとも、「学びたい」という願いには応えられるので、「じゃ、明日からいらっしゃい」と言うと、かすかにうなずいた。

 

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炊事遠足。やきいもや炊事を楽しむ。

 

黙々と学ぶ澄夫

澄夫は翌日から休まずに通い、黙々と学び続けた。

3週間ほどして、母親から電話があった。

「スコレーで何があったのですか?澄夫は、スコレーに行く時は30分も前から玄関に立ち、ドアの隙間から外をうかがい、人影があるとドアを閉める。こんなことを何度も繰り返して、人影がないことを確かめると、地下鉄の駅へ走っていくのです。ところが、3日前から『行ってきます』と、自然な様子で玄関を出て、近所の人にあいさつもしています。どうしたのでしょう?」

といった内容だった。

4、5日前、澄夫が「先生、俺、悪いことをしてるんじゃないよね」と聞くから、「当たり前でしょ。いつも言ってるでしょ」と言うと、「俺、悪くないんだ」「俺、悪くないんだ」と何度もつぶやきながら、私の周りをウロウロしていたことを思い出した。

澄夫は他の子と同様に、登校拒否の罪悪感に苦しみ続け、他人の目を避けていたらしい。何度か話し合うなかで、悩み、考え、ようやく罪悪感から解放されたようだった。

 

 

 

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