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「あなたは、自分の心や考えを大事にしている素敵な人だ。ゆっくり考えて、勉強したかったら、近くの塾や家庭教師、通信教材、学校に戻れるならそれもよいし、スコレーに通ってもいい。自分で決めよう」と、年齢、学年に応じて「日本人は古くから、自分の意思を押しつぶして生きることを求められてきた」話をすると、ほとんどの子が興味を持って聞いてくれる。

しかし、登校拒否の罪悪感を薄めることは簡単なことではない。3年間をスコレーで過ごして再登校した邦夫は、難関高校に合格した際、母親が「スコレーに報告に行こう」と誘うと、「スコレーって何?」と走り去ったという。

邦夫は再登校後も、スキー合宿やキャンプに参加しているので、スコレーを忘れるはずはない。進学校合格の栄冠を手にした邦夫は、喜びと同時に「3年間の登校拒否は、忘れ去りたい暗い自分史」と思ったのだろう。再登校後もたびたび訪れていた邦夫から、高校合格以来一度も連絡がないことからも、この推察は的はずれではない。一見、罪悪感は消えたかに見えた邦夫の例からも、人間の心はそう簡単には変わらないことを思い知らされた。

しかし、本来持つべきでない罪悪感であり、完全消去がむずかしくとも、少しでも薄めることを続けていこうと考えている。

 

―中2の澄夫の場合―

原因不明の登校拒否に困惑する親

中2の澄夫の父親は会社事務職、母親はパート店員。澄夫はひとりっ子で、体が小柄で小学校入学以降、各担任から「覇気がない。消極的」と言われ続け、学習成績もやや不振であった。しかし、病気もせず、特別な問題もなく家族3人で平凡に暮らしてきた。

中2の6月、澄夫が突然に登校拒否を始めたので、両親は驚きあわて「どうした?何があったの?」とたずねても、澄夫は黙して語らない。両親には思い当たることがなく、5日目に訪れた担任教師と話し合った結果、「テスト前にも熱心に勉強をしたけれど、結果はいつものとおり平均点を下回り、評点は全教科が前と同じ成績だった。かんばっても、がんばっても変わらない成績に自信を失ったのだろう」と結論づけるしかなく、しばらく様子を見ることにしたが、10日目になっても登校する気配はなかった。

父親は職場の同僚からの、「早く学校に戻さないと、休みに馴れてだんだん登校がむずかしくなるよ」という助言もあって、待つことに耐えられなくなった。登校時間になっても起きない澄夫の布団をはぎ、「起きろ。学校へ行くぞ、すぐに顔を洗って車に乗れ。朝飯は食べなくていい」と、抵抗する澄夫を無理やり車に乗せ、「給食を食べないで帰ってよいから」と、学校へ運んだ。

澄夫は親の車が去ると、すぐに帰宅した。こんなことが3日続いたが、澄夫が帰宅していたことを知ると、「お前は怠け者になったのか」と頬をたたいたという。しかし、澄夫は動かなかったばかりか、自室に閉じこもり、食事も少量になり、物音一つしない生活になってしまった。母親との会話もとぎれがちになり、少年の自殺が年間200人のニュースを耳にすると、母親はパートの仕事を辞めて澄夫の部屋の様子をうかがったりして、ウロウロするばかりだった。

 

 

 

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