夜が明けると、操業中の漁船が不審な風体の伝馬船に気付き近づいてきた。漁船は半信半疑ながらも一応の事情を知ると、驚きのあまり操業を中止して、伝馬船を曳航することを申し出たが、新六たちがこれを断ったので、漁船は仲間の漁船二隻とともに遠来の伝馬船を両側から庇うようにして勝浦港へと誘導した。
七月三十一日、午後六時、新六たち四人は漁船の男たちに扶けられて、やっと岸にあがることができた。
それはあの、南鳥島を出帆して、実に二十二日目のことであった。
四
奇蹟とも言うべき新六たち四人の生還が、大々的に新聞に報道されると、国民は一斉にその冒険的壮挙の成功に驚嘆し、海国日本の誇りとしてその勇気と忍耐力を賞讃してやまなかった。記者たちも実際わが眼で小さな伝馬船を視たとき流石に唖然と愕いてしまった。
新聞の中にはややもすれば単に興味本位の冒険譚として報道するものもあった。
新六は一日も早く南鳥島に残留する船員たちを救出したいと、所属する貿易組合や海運業界に強く訴え、船さえあれば新六みずから乗り込んで南鳥島に出発する意志のあることを表明した。すると、これがまた海の男らしい義侠心だと賞揚して新聞が記事にした。もとより娑婆気(しゃばっけ)のない新六はうんざりしてしまった。