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夜が明けた。それからというもの、くる日もくる日も魂をうしなった蜉蝣のような漂流が続いた。

それでも、幸い羅針盤は指針に故障がなかったので、四人が交代で肌につけることにし、潮流や風の動きに留意して、たえず西北の方向へ船を進めた。わずかに残った食糧や飲み水も日毎に欠乏する許りで、四人の相貌もとげとげしいまでに憔悴の色を見せるようになっていった。そんな時、船の中に時折とびこんでくる小魚を手掴みにして食べる、その美味(うま)いこと。「うまい!うまい!」、四人は頓狂な悲鳴をあげるのだった。

十一日目、船は小笠原を隔たる東北方七百カイリの位置を漂流していることが分かった。もう小笠原に辿り着くことは不可能と判断すると、今度は西北に針路をとり何が何でも伊豆大島に向かおうと四人は話し合った。そして、十九日目の七月二十八日のことだった。水平線上に二つの淡い島陰を認めたので、新六たちは必死に近寄ろうとしたが逆風と日没のために島陰を見失ってしまった。

その二日後の二十九日の朝、西の方数十カイリの位置にすこし大きな島陰を発見した。

「大島だ!」

四人は歓声をあげ全力をふりしぼって狂ったように二本の櫓を軋(きし)ませた。しかし、突風のため船はきりきり舞いしながら、夜の闇のなかに押し流され、二度と島陰を望むことはできなかった。

伝馬船の四人は、一時放心したように黙り込み悄然としていたが、それでも何やら本能的に本土に近づいていることを感じとると、互いに励まし合って、思いきり、針路を真北に向けて黒潮に挑んだ。どこでもいい。本土のどこかにぶち当たることができたら……四人は風に祈り、二本の櫓に運命を託した。

三十日の昼過ぎ、突然、船の前方に薄墨を刷いたような一すじの山陰らしいものが浮かんだ。やがてそれが間違いなく房総の山なみであることが分かると、四人は抱き合って泣いた。そしてまた不安な夜の闇につつまれると、星影をたよりに最後の力をふり絞って櫓を漕いだ。

 

 

 

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