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その他、細々(こまごま)した釣り道具とか信号用の手鏡、手旗など欲をだせば限(き)りがなかった。

出発は縁起をかつぎ、金比羅さんの祭日である七月十日と決定した。

いよいよ出発の朝がきた。新六は小林船長から贈られたボート用の小型羅針盤を十字の白襷で胸元に留め、平然と微笑をうかべて伝馬船に乗り移った。

「成功を祈る!」

元軍人らしい小林船長の力強い訣れの言葉が、見送る島全員の沈痛な緊張をつんざくと、決死行の小舟は事も無げに裾礁を過ぎ外海へと出ていった。

空は明るく、帆は南東の微風を孕んだ。

新六たち四人の命をのせた異様な恰好の伝馬船は、次第に西の水平線へと消えていった。

―島を出発して二日ほどは、凪(なぎ)の大海原を真西北に進路をとって快適な帆走が続いた。

三日目。夜明け頃から妙に気温が騰りだし変だと思ったら、急に西南の強風が海面を叩き始めた。ドス黒いちぎれ雲は頭上をグルグル奔り回り、もう伝馬船はまるで木の葉のように狂乱の怒涛に翻弄された。平和の仮面をかなぐり捨てた海の死神が、牙をむいて襲いかかってきたのだ。

羅針盤のガラスも砕けた。新六たちはあらゆる器物を使って船内の排水にのたうち回った。もう舷側や舳の帆木綿(カンバス)などもとより、頑丈に固定していた筈の食糧や水、予備の櫓、揖まで、板子の上の積載物は跡形もなく波浪が奪い去った。

やがて八時間の苦闘が終り、夕暮れを迎えた時四人はただ茫然と顔を見合わせた。そして誰言うとなく腰に結いつけた鰹節をかじりはじめた。もう何の方策も知恵もなかった。その夜は運を天に任せてみんな休息することにした。

 

 

 

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