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不運はまだまだ続いた。人生の戦友とも言うべき服部新助が、眠るように三十九歳の生涯を終えると、新六は潮の香にさびれた形見の双眼鏡を掌に、ただ悄然とうなだれる許りであった。

折しも、日清戦争の大勝利に酔い浮かれる世間とは反対に、新六は失意のどん底でやり場のない不運に呻吟する日々が続いた。

そんな或る日、新六に全く想いもしない話が持ちあがった。

それは、横浜の南洋貿易組合から新六を南洋開拓部長として迎えたいという、まことに結構な話である。

その貿易組合といえば、かつて小笠原島への商品売り込みで激しく鎬(しのぎ)を削った、いわば商売仇(かたき)である。事もあろうにその当人が辞をひくくして、現場の商行為一切をまかすから船主代理として常時乗船して存分に采配をふるってほしい、と言うのである。

どうしたものか、新六は妙に気の重いものをおぼえて、折角の話を断った。

すると、相手側は当時話題になっていたグラムパス群島の探索なども、新六の一存で本務たる貿易業務に支障をきたさない限り自由に実施してもよろしいと、最大限の優遇案を持ち出してきた。

それは、新六の心中を見とおしての誘(いざな)いであった。新六もやっと重い腰をあげた。

 

 

日清戦争が終って間もない頃、若者たちの間で胸に大きくイカリ・マークを染め抜いたシャツを着ることが大流行し始めた。

ただそれだけの他愛ないオシャレだが、これをある高名な評論家は、戦争には勝利したものの三国干渉によって大陸への国民的発展志向が阻害された、その反動的現象ではなかろうかなどと評論した。

 

 

 

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