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それはさておき、とかくこの時期は世界中の船乗りたちが中部太平洋を舞台に猟奇的ともいえる未発見の島嶼を探索し、その領有を争ったいわゆる海洋探検の時代であった。

しかし、これには当然困惑すべき間題が付随する。仮に或る者が未知の新島を発見したと吹聴しても他の第三者が確認してみると、クモやカスミであることが再三であった。そこで、その存在が現実に否定も肯定もできない島嶼が海洋上に現出した。このような島嶼がいつの間にか「疑団島」と呼ばれるようになった。わが国でも、明治十九年海軍水路部刊行の水路誌にもこの疑団島なる用語が記載されている。

この奇妙な疑団島の一つに、グラムパス群島なるものが登場するのである。

大、小五つの島から成るその島は小笠原島ほどの面積があり、一七八八年米国の捕鯨船が発見し、グラムパスとは船長メールスの命名したものだと言う。

メールスの報告によると、

―その群島は小笠原島の東南約二百浬(三百三十キロ)北緯二五度六分内至四〇分東経一四三度四四分内至一四六度四〇分に位置し、一番大きい島は天然の良港に恵まれ、気候まことに温暖、清例な水は滾々(こんこん)と尽きることなく、果実も豊富で、森には人をも怖れぬ極彩色のインコが飛び交っている。まさに南海のパラダイスである。そしてまた不思議といおうか、一日一度は必ず島のうえに大きな虹を見ることができる……という。

この話がたちまち海の男たちの間にひろがるにつれ、殊に薪水補給に苦労している捕鯨船の連中は、疑団島グラムパスの探索に目の色を変えて熱中しだした。また有名な海洋探検家クルーゼン・シュテルンまで探検に乗り出したという噂が伝わると、もう探検家たちはじっとしておれず、グラムパスの虹をもとめて南の海を疾駆した。

 

 

 

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