日本財団 図書館


当時、小笠原島は正式に日本に帰属して間もない頃で、新六たちの商売は大成功した。それ以来、二人は息つく間もないほど、小笠原島への航海を繰り返し、薄利多売式の商法は却って島民の好感と信用を得て、他の業者を圧倒した。二人は予想以上の収益で、大海丸という二本マスト、百トン積みのスクーナーや小型帆船の相陽丸まで持ち船にすることができた。

しかし、小笠原島への内地からの売り込み競争が次第に白熱化してくると、新六と新助は事業の新天地を遠く南洋諸島にもとめ、先ずトラック島、ポナペ島へ雑貨を満載して出航した。これも意外なほど島民の歓迎を受けて、帰途には亀甲(べっこう)、蝶貝などを積んで戻り、往復(ゆきかえり)二重の収益を得ることができた。

順風満帆、今や新六と新助の念頭にあるものは、ひたすら全力投資による事業の拡大であった。

その当の新六が突然警察に逮捕、勾留された。密貿易の嫌疑である。新六がどんなに弁明し、容疑を否認しても当局は容易に釈放してはくれなかった。年を越えて明治二十二年七月、やっと八ヵ月振りに無罪放免となったが、事件はどうやら同業者の卑劣な讒誣(ざんぷ)によるものらしかった。

自由の身になった新六に先ず知らされたものは、倒産同様の小笠原回漕店の惨状であった。

留守役の新助は持病の肺患が昂じ、生死の境をさまよっていた。持ち船は貨物を積載したまま他人の手に渡っており、残っているのは小笠原回漕店名儀の多額の借財であった。

おまけに、新六自身が個人の立場で運用していたビスマーク群島への貿易船快通丸百四十トンが商品を満載したままトラック島で遭難してしまった。船は快通商会からの借り船だった。その損害補償の件も失意の新六を黒い怒涛のように容赦なく翻弄した。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION