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年も明けて、横浜に帰港した水谷新六は、先ず所属する東京金十社という貿易組合の役員会に無人島発見の経緯と島の実態を報告した。しかし、南洋方面の交易事業を全面的に担当させる一方で、あわよくば、「幻の宝島」グラムパス群島の発見、探索を水谷新六に要望していた役員たちは、この無人島発見の話にはどうした事か、冷い反応しか示さなかった。金銭的になんの利益にもならない、つまらない拾い物のように判断したのであろう。

当時、貿易事業を牛耳っていたのは田口鼎軒の南島商会や横尾東作の恒信社であった。それに比べて二流、三流どころの金十社としては、ここで一発、グラムパスという宝島を手中に収めて海運業界を制覇する以外、社運興隆の方途はまずあるまいと考えていた。

会社の経営陣は、商人としても優秀な新六を船主代理として南洋方面の交易事業を担当させる一方、現在世間に喧伝されている宝島発見の社命を負わせていたのである。

今回、発見し、調査した無人島は、船員や会社の間ではいつの間にか南鳥島(みなみとりしま)とよばれるようになっていた。

南鳥島は、会社の方針としてはその経営などには一切関与せず、水谷新六個人の裁量に任かせ、会社は出来得る限り新六の方針に協力するという、体裁のいい結論に決着した。要するに会社の経営陣は算盤の弾きようのない小さい無人島の話から逃げたのである。

(よし! 肚は決まった)

水谷新六の闘志が燃えあがった。この時、新六、四十五歳。未だ、妻も子もない、壮大な夢ひとすじに生きる海の男であった。

 

 

 

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