島の中央部には周囲二百メートルほどの小さな沼とも池ともつかぬ水溜りを発見したが、水は無気味に白く濁って、塩辛い味がした。鳥糞の汁が集まって水溜りができたのだろうと、言う者もあったが、とにかく島中到る処に鳥糞が堆積してグアノ(リン鉱)の層が広がっていた。それは、この島の創成以来何千年もの間、海鳥たちの営みの結果であろうと想われた。
ごくみじかい間の調査ではあったが、海鳥の羽毛とグアノ以外これと言ってめぼしい経済的に利用価値のある島とは思われなかった。また、漁業基地としての自然条件も絶望的であった。そして、島内のどこにも、かつて人間が上陸したと推量される焚火の痕跡などどこにもなかった。
上陸して三日目の朝、深海のため投錨もできず、島の周囲をぐるぐる回っていた天祐丸から、天候悪化の兆あり、急遽探検隊は本船に引き揚げられたしの連絡が届いた。
新六はすぐ探検隊全員の生命に関係するのみならず、天祐丸自体の安危にも及ぶ状況だと判断して、島の退去に踏みきった。本心はあと二、三日の調査探索の時間が欲しかったのだが。島を去る決心がつくと、新六は東海岸の一番高い椰子のてっぺんに大きな日の丸の旗をくくり付けるよう隊員に命じた。その場所は島で一番高い標高を示していた。それと同時に、上陸する際持参したいろいろな道具類の不要なものは、思いきって島に放置するよう指示し、約十貫目(三十七、八キログラム)ほどのグアノを叺(かます)に採取して怱怱(そうそう)に天祐丸に引き揚げた。
天祐丸は待っていたとばかり、すぐさまサイパンを目指して出航した。
島の東端に掲げた日の丸の旗が曇空の視野のなかで、妙にいつまでも小さくはためいて遠ざかっていった。