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これでは一時的なものになってしまい、やがて消滅する可能性も強く、先人たちが培ってきた技術継承には繋がりにくい。先述したように、無動力船の消滅により多くの船競漕が消滅した。そしてその実態把握は不可能である。しかし、それが調査を繰り返すことによって断片的に明らかになってきている。今後、さらに調査を繰り返し船競漕の実態を確かなものにしたい。不幸なことに船競漕など祭礼競技の記録がほとんど残っていない。しかし、高齢者たちは目を輝かしてかつての勇姿を回顧する。その意味では、かすかな証言をたよりに聞き取りを繰り返すことによって先人たちの営みを明らかにすることがわれわれの務めと考える。

(安冨)

 

7) 社会変化と『船競漕』

これまでも述べたように、船競漕が年々衰退していく原因にはさまざまな要素が考えられるが、選手の輩出母体である地域の青年集団の崩壊が主因であろう。つまり、地域から都市へ青年の流出が続き、地域から青年が減少したことである。そしてそれは単なる青年層の減少にとどまらず、地域社会の崩壊につながっていることである。

以上のような状況をふまえ、社会が大きく変化するなかでの船競漕の実情を概略述べてみたい。

船競漕を支えてきたのは、わが国では農村よりも漁村社会である。そして漁村社会は農村社会にくらべ、これまでの伝統的社会の習慣をひきついできた。しかし、高度経済成長などによる社会構造の変化は第1次産業の構造的減少をもたらし、農村とともに漁村社会を大きく変貌させた。このような社会構造の変化と漁業資源の枯渇は一気に漁村社会の衰退をもたらし、伝統的に継承されてきた船競漕文化も危機に瀕している。

漁業従事者はこれまでおよそ15才になると青年宿や若者宿と称する漁師養成組織に入れられ漁業のあり方をたたき込まれた。そして、そこで学んだ秩序は漁に出る時は船長を頭とするタテの関係であり、陸にあがれば長老を頭とするタテの関係であった。漁村社会はこうした秩序をしっかり堅持した社会であった。したがって船競漕の選手の選出も多くの場合、長老によっておこなわれることが多かった。単に腕力だけで選出するのでなく、ふだんの仕事ぶりも加味されたという。そのため選ばれることは大へん名誉なこととされ、青年らはそのために精進を重ねた。また選ばれることが1人前に認められることになり、それは大人への通過儀礼の一つであった。さらに選ばれたとしてもどの役になるかが大きな関心事であった。つまり、一般に船はカジとりをする艫櫓(艫櫂)役が最も重要であり、次に先頭でみんなの櫓(櫂)拍子とり役である。一番櫓(櫂)がこれにつづいた。これらの役に選出されることは地区の英雄として長く語りつがれたという。

 

 

 

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