4. 運輸国際協力セミナーの開催
平成12年度「運輸国際協力セミナー開催事業」の第4回セミナーを次のとおり開催した。
日時:平成13年1月24日(水) 16:00〜18:30
場所:レストラン立山「D会議室」
テーマ:カンボジアの国土と交通
講師:在カンボジア運輸省派遣JICA運輸・港湾専門家
高垣泰雄 氏
(講演要旨)
カンボジアから一時帰国中の運輸省派遣JICA運輸・港湾専門家の高垣講師に、カンボジアの現状についてご講演いただいた。
1. 歴史
カンボジア事情を知る上で不可欠な歴史的背景
1] 9世紀から14世紀半ばにかけて大クメール帝国の繁栄
クメール王朝はインドシナ半島における最強の国家でありアンコールワットを中心として栄えた都市であった。
2] 1883年フランスの保護区
ヴィエトナム、ラオスと共に植民地となる。1953年の完全独立まで70年間フランスの植民地政策下にあった、フランスは、南部ヴィエトナムは直轄植民地としヴィエトナム人の同化政策を実施したが、カンボジアには同化政策により、ヴィエトナム人を商人、熟練工として送り込んだ他、行政官史として使い、カ国の間接統治を行った。当初約100万人程度の国民がフランス統治下にあって約4倍にも増加していることは評価すべきところである。
3] 1953年独立
シハヌーク時代〔1953〜1970〕
シハヌーク王は直接政治に携わるため、王位を父親に譲位し、「国家、仏教、国王」を中心とする「人民社会主義共同体(サンクム)」を結成し、国民を王制のもとに動員した一種の王制翼賛体制による事実上の独裁政治を行う。右派はロン・ノル将軍等の親米派軍人、左派は後のポル・ポト派代表キュー・サムファン等がいた。
東西陣営の狭間にあり当時「赤いプリンスの綱渡り」と評価された。ヴィエトナム戦争では解放戦線への物資調達に便宜を図ったのが起因となり、対米断交となり、左右両派の対立から、身の危険を感じた左派はカンボジア共産党の解放区に逃げ込み、後のいわゆるポルポト派と合流することとなる。シハヌークの外遊中にロン・ノル将軍がクーデターを起こし、カンボジアは共和国となる。シハヌークはその後ずっと亡命中、中国、北朝鮮に支えられ、彼の身辺警護はカンボジア国内においても、現在も約20人ほどの北朝鮮のSPである。
ロン・ノル時代(1970〜1975)内戦の時代
シハヌークは北京からカンボジア民族統一戦線の結成を呼びかけ、それに呼応してカンボジア国の共産主義者と王党派が統一戦線を組んだ(主力は後のポルポト派)。親米派ロン・ノルはもともと民衆に支持基盤がなく、シハヌークの呼びかけに応じて各地で反乱が起きたとき、ヴィエトナム(北側)ならびにその支持者であるヴィエトナム移民の挑発行為と称し、カンボジア国在住ヴィエトナム人を迫害し大虐殺を行った。また、米軍と南ヴィエトナム軍を大量に引き入れた。一方、統一戦線も1971、2年に米・南ヴィエトナム軍にたびたび勝利を収めた。その主力として北ヴィエトナム軍を引き入れていたことは今では周知の事実である。