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国土面積は657,600km2(日本の約1.8倍)で、人口が約4,400万人である。首都ヤンゴンは人口500万人で政治経済の中心であり、第2の都市マンダレーが中・北部の中心となっている。ビルマ族が約7割を占めるが、山岳高原地帯に少数民族がいる。公用語はビルマ語、宗教は仏教徒が大多数である。ヤンゴンには日本大使館、JICA事務所が置かれている。

1948年に英連邦外の共和国として独立したが、1962年のクーデター後軍事政権が続いている。1990年の総選挙でスー・チー女史率いる国民民主連盟(NLD)が8割以上の議席を確保したにもかかわらず、政権委譲が行われていない。

1962年以降、農業を除く主要産業の国有化等社会主義経済政策を急速に進めたが、生産の停滞等の経済困難が増大し、1987年12月に後発開発途上国(LDC)に認定された。軍事政権後、社会主義経済政策を放棄し、輸出入業務の自由化など市場経済開放政策を推進した。諸制度の整備に努めるとともに、経済インフラの整備、外国投資の誘致を図り、1992年から95年の4年間は年平均成長率7.5%を達成した。しかし、1997年になって、米の不作、外国投資の伸び悩み、チャット(国通貨)の急落等により経済成長率は4.6%に低下した。

対外関係では、ASEAN諸国、中国等近隣諸国との関係緊密化に努めているが、軍事政権に批判的な欧米諸国とは引き続き冷却している。ASEANには1997年に正式に加盟し、経済面を中心とした交流が進められている。また、我が国との関係では、各種交流が盛んであるものの、現政権に対して民主化及び人権改善の働きかけを続けている。日・ミャンマー間の貿易は、1997年で我が国から輸出2億1,100万ドル、輸入9,900万ドルとなっているが、我が国企業の投資額は諸外国に比べて低調(1998年8月で累積額が全体の3%強)である。

我が国からの開発援助では、他の東南アジア諸国同様、援助重点国の一つとして位置付けられていたが、1988年の軍事クーデター以降、一定の分野を除いて実質上停止された。しかし、1995年になって、民主化等の改善を見守りつつ既往継続案件や基礎生活分野の案件を中心にケース・バイ・ケースで協力が実施されている。1998年度で無償資金協力が52.90億円(うち40億円は債務救済無償)、技術協力7.68億円の総額60.58億円であった。

有償資金協力は、1987年度以降は新規の供与を行っていない。既往案件の「ヤンゴン国際空港拡張計画」に関して一件のみ、安全維持のための応急措置として1997年に約25億円を貸与された。無償資金協力では、1998年には、麻薬代替作物栽培支援のための食糧増産援助、母子保健サービル改善計画を実施したほか、草の根無償資金協力を27件実施した。技術協力としては、民主化、経済開放化に関する協力を中心に実施しており、農業分野での専門家派遣、プロジェクト技術協力、保健医療分野でワクチン等の供与が実施されている。

 

2.4 ラオス人民民主共和国

インドシナ半島のほぼ中央に位置する内陸国である。北に中国、東にベトナム、南にカンボジア、西にタイ及びミャンマーに囲まれる。国土の大部分は山間地であり、中・南部のメコン川流域に平野が若干広がっているが、戦争による国土の荒廃が未だ残っている。気候的には熱帯湿潤気候であるが、内陸国でもあり過ごしやすく、雨期乾期の別がある。

国土面積は230,800km2日本の本州とほぼ同じ)で、人口が約485万人である。首都ビエンチャンはこの国第一の都市で、政治・経済・文化の中心であるが人口は約38万しかなく、他の都市も小さい。タイ系のラオ族が約6割、他は少数民族である。仏教徒が大多数でラオ語が公用語である。通貨はキップであるが、タイバーツも通用している。ビエンチャンには日本大使館、JICA事務所が置かれている。

内陸国という地理的条件と過去の内戦の影響により経済発展は遅れており、市場経済メカニズムを導入を通じて経済の活性化に努めてきた。

 

 

 

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