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3.1 かりふおるにあ丸

 

3.1.1 事故概要1)2)

昭和45年2月9日荒天中を航海していた「かりふおるにあ丸」は深夜22時頃船首部に大きな衝撃を受け、船首左舷No.1バラストタンク外板が破損し、浸水が広がり、事故8時間後、野島崎沖370kmの海上で沈没し、乗組員5名が死亡した。

かりふおるにあ丸は昭和40年9月横浜からロングビーチに向けて処女航海に就き、主として和歌山港への鉱石運搬船として北米、東南アジア航路に仕事した。最後の航路もロスアンゼルスで鉄鉱石ペレット約6万トンを積載し、昭和45年1月23日、和歌山港に向けて出向した。

1月27日には国際満載吃水線条約に定める冬期帯域に入り、同30日頃まで比較的穏やかな航海を続けた。その後かりふおるにあ丸が遭難するまでに3回の荒天に遭遇した。最初は2月1〜2日で、かりふおるにあ丸は風速42ノットの風を左舷斜め後方から、うねり(有義値)10mを左舷真横から受けた状態であった。次は2月6日頃、この航海で最大の海象に遭遇し、風速61kt、うねり15m、風浪5mを右舷前方より受けたため、速力を3〜4ノットにおとし、針路変更するなど荒天避航を行なった。この荒天で船首楼に大きな損傷を受け本社に修理を依頼した。損傷個所は、ピラー3ヶ所のベント(20〜60mm)、デッキビーム1ヶ所の亀裂及び甲板1ヶ所の凹損(径2m、デント30mm)であった。

最後の荒天は事故発生時の2月9日〜10日であった。かりふおるにあ丸が報告した午後9時の船舶気象報によると、天候曇、風向240度、風速43ノット、強雨、気圧999.5mb、気温10.50度、水温18度、風浪周期10秒、波高6m、うねり方向250度、周期14秒、波高10mで、本船針路270度(西)、速力6〜11ノットであった。

その後、午後10時頃、左舷前方より2つ続けてくる大波が認められ、最初の波を乗越え船首が下ったところに第2発目を受け、船首楼からNo.1ハッチ付近まで波をかぶり、ものすごい衝撃を受け、船体が異常に振動し、数分後左へ約10度傾斜した。船長は直ちに「機関停止、全員船橋に集合、SOSの発信」を指令し、救命艇の降下準備にかからせた。その後船体は約20度に傾き、衝撃音がしてから10分後に右舷No.5とNo.6のBWTに注水を始めた。降下準備中の左舷救命艇は高波に押し上げられて宙づりになり、そのうちにロープが切れ海中に落下した。艇内で作業中の5名は海中に放り出されたが、すぐ全員が船上に救い上げられた。右舷艇は船体左傾のためダビットが作動せず人力で押し出したが、途中からフックが外れ10名を乗せたまま落下し水舟となった。この時負傷者が発生した。非常用に予め甲板上に展張してあった膨張式救命イカダを急速降ろした。8名はそれに乗り移ったが負傷者2名はそのまま右舷艇と共に行方不明となった(この2名はのちに救助された)。この頃右舷No.5とNo.6のWBT注水量が2,000トンとなり、船体傾斜は約5〜6度に戻った。

 

 

 

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