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(随想)

 

海への思い

宮崎晃

 

(本稿は昨年12月17日の交通文化賞授賞式当日のパーティでお話ししたものに、本年2月2日に行われたJAMSTEC成果発表会の報告をかねて追記したものです。)

本日の私の交通文化賞受賞にあたり、年末のお忙しい折から皆様にお集まりいただきまして誠にありがとうございます。交通文化賞という立派な賞を戴けるなどと思ってもおりませんでした。一緒に仕事をしてきた方々のお陰と存じ、心から感謝しております。

私の造船技術者としての50年足らずの年月を振り返りますと、波欄万丈、激動の時代で、この中にどっぷりと浸って船造りに徹し、良い時も苦しい時もまさに私にとっては本懐でありました。今また造船業界の厳しい時代を迎えて、現役の方々が歯を食いしばって懸命に頑張っておられるのを見ると、心の痛む思いがします。

本夕は折角皆様お集まりのことでありますので、思いつくまましばらく昔を振り返って将来に思いを馳せたいと思います。

 

(1) 船舶工学科進学

最初の授業で船型学の山県昌夫教授から「海軍なき所に造船なし。諸君如何に処するか」といきなりショックを与えられ、機会あるごとに議論を繰り返したものです。また、加藤知夫教授から「船舶設計」の講義で「造船経営に好不況はつきもの。不況到来して船価がコストを切ったらGCを切る。更に下がったら固定費回収を睨みながら受注し、ロスミニマムに徹する、赤字は好況時に取り戻す」と言われました。必要コストであるGC何故カットするのか、当時はその意味が分かりませんでしたが、後年、私自身が経営判断をする立場になり、固定費回収を睨みながら苦渋の決断をする時になって、初めて理解できました。世界が一つのマーケットの造船業は、この様な視点がないと経営は出来ません。

 

(2) 造船技師として計画課で受注作業

造船所では主として計画課で引合作業を担当しました。昭和30年代は新船型がラッシュした時代でバルクキャリア、鉱石運搬船、VLCC、ULCC、鉱油兼用船、自動車運搬船、LPG船、LNG船、コンテナ船等々続々誕生しました。最初にバルクキャリアの引合があった時は、船の断面形状さえ分からず、国会図書館で本社に外国の雑誌を調べてもらって、計画見積を徹夜でやったことも懐かしい思い出です。

これらの各種新船型とVLCC等の船型大型化は運賃を劇的に下げる役割をし、輸送の効率化と相まって世界、特に日本の経済の発展に大きく貢献しました。

昭和30年代の半ばと思いますが、一橋大学都留重人教授が中央公論に「日本は資源がなく貧乏国であったが、今や世界は平和となり、資源は安い運賃で買ってくればよい。これからは何をどのように造るか、即ち人こそが資源である」という論文を発表されました。目から鱗が落ちる思いがしましたが、その予言の通り日本は資源のない貧乏国から世界の製造工場として、やがてGDP No.2の大国となったのであります。

唯一忘れてならないことはこれら新船種、新船型はすべて欧米の発案、日本造船業はただ営々と造る沈黙の艦隊であったことです。この体質は現在も変わっていません。

 

※ 日本造船研究協会副会長(三菱重工業株式会社顧問)

 

 

 

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