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QE2が“NA”灯浮標のところに達したとき、水先人は、針路を250度にするよう指示した。この針路は、ナビゲーターが設定したものとは異なったものである。

水先人は、この250度の針路はカッティハンク島の南方2海里の地点を通過するものであったと証言した。その上、同人は、この地点に到達したとき、もっと西に針路をとり、下船予定地点に進むるつもりであったと証言した。“NA”灯浮標地点で二等航海士が船位を測定し、直ちに、この針路ではブラウンズ・レッジ礁北方の浅瀬水域に進入してしまうと一等航海士に報告した。

船長が、この事態に気が付いたとき、その気懸りを一等航海士に話し、同航海士が、船長はソー・アンド・ピッグス礁の南方を十分に離して通過した方が良いと思っていると水先人に伝えたのであった。これによって、水先人は針路の変更を指示した。水先人が予定していた下船地点に向け、西方に二度目の針路変更をしようとしていることに、船長も当直航海士も気付かなかったし、水先人もこの変更予定を両者に知らせなかった。下船予定地点について事前に話し合ったとき、水先人はブラウンズ・レッジ礁北方を通過するつもりであることを船長に知らせるべきであった。もし、QE2の船長/水先人の話合いに水先人の予定針路のことが含まれていたなら、船長は、水先人が本船のナビゲーターが設定した最初の進路線と異なった針路を通って下船地点に進むことに、もっと早く気付いたに違いない。安全委員会は、錨地を発航する前に、水先人が自分の意図するところを船長に伝えるべきであったし、ヴィンヤード海峡通過中の進路について合意できるよう、船長が水先人の意図を聞き質すべきであったと信じている。安全委員会は、もし、船長/水先人間の話合いが十分であったなら、船長は水先人の意図を理解できたし、適切な進路設定についての合意が得られ、本件の発生はなかったであろうとの結論を出した。

船長が、かなり南方に向けようとした自分の考えを水先人に話したときには、その後乗り揚げることになった水深39フィート海域を横切ることになるかどうか、二人とも分かっていなかったのである。21時54分に二等航海士が、海図上に測定船位と、この地点から240度の針路線とを記入したのちに初めて、この船長の考えが生きる状況となったのである。しかし、たとえ、二等航海士が自分で気付いたこの事態を船長か水先人に話したとしても、21時58分の乗揚までに別の針路を選定するだけの時間は、わずかか、ほとんどなかったであろう。それもさることながら、二等航海士は、使用海図の精度を信頼していたし、本船の喫水を承知していたために、深度39フィート水域を通過することに懸念を感じていなかったと証言した。

水先人は、カッティハンク島の南方2海里を通過し、水深39フィートの地点と岩礁が存在する水域の北方を通過するために、考えていた“NA”灯浮標の西側を通る進路を選択した。

 

 

 

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