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フェローシップに参加して

柏木知子(長崎大学医学部5年)

 

盛りだくさんの11日間でした。一番の「収穫」は、メンバーと討論したり踊りに出かけたりして、交流や意見交換ができたことです。国際協力に関心のある自分とは違った考え方を持つ学生と、その日見たことについて意見を交わし、自分と比較することで「自分とは?」「自分のやって行きたいことは?」について、より明確に認識するようになりました。

今回は、短期間のスケジュールでしたが、WHOの活動から厚生省やProvince・Barangay(村)の診療施設まで保健サービスの流れを追って見ることができました。また、GOだけでなくNGOの活動にも触れることができ、GOとNGOのアプローチの仕方・役割の違いも感じることができました。もう少し時間が取れ、詳しくお話を聞くことができればもっと良かったとは思います。また、各施設の見学を通して現場で働く方々からお話を伺い、国際保健や国際協力の現場で働くためにどんな関わり方ができ、どんなニーズがあるのかを知ることができました。

個人的に言えば、今回は3度目の、そして5年ぶりのフィリピンヘの訪問だったので、変化している事と変化してない事に幾つか気づきました。

まず、空港から中心へ行く途中、左の海岸は埋め立てが進み、海岸線が以前より遠くへ動いていました。今年7月にゴミ山が崩れて大きな被害をもたらしたPayatasの「スモーキーマウンテン」はゴミを積んだトラックの出入りがほとんど無くなっていましたが、ゴミ山自体は5年前に比べどこが端だかわからないくらい大きくなっていました。また別の場所に新しいゴミ山ができるのでしょう。ゴミを集めて生計を立てていた多くの人はどこへ行くのでしょうか?彼らの身分をある程度保証し、きちんとしたリサイクルシステムの構築が望まれます。またピナツボ火山噴火後、台風のたびに広がっていた土砂災害のために見渡す限り「灰色の砂漠」だった地域を訪れたところ、土砂の流出は治まり、草木が生え道路が通り、人々が帰ってきていました。そして、今回訪問した「BOTIKA BINHI (薬の種)」についてです。医療機関から物理的にも金銭的にも「遠い」人々が、最小限必要な薬を安く、身近なところで手に入るようにという目的でフィリピンのNGOが始めた活動です。5年前に訪れた時は、安く薬を流通させることに対して、民間の薬局団体から脅しめいた圧力が掛かっていると聞きました。今では、活動が拡大し大きな市場となったのでいろいろな薬メーカーから薬を使ってほしいと申し込みがあるそうです。今回訪れたTarlacでは、JICAが調整役になってそれぞれのコミュニティで発展しているようでした。他に厚生省のバックアップも受け普及活動も大きく前進しているようでした。このNGOを起こし、活動を引っ張ってきたDr. Emmaが、不慮の事故で亡くなったと聞いて大変残念に感じましたが、彼女の活動が他の機関に認められ、支持を得て広がっていることを知って嬉しく思いました。

外国を知り日本を見直し、国際協力を行い日本での政策を見直し、たくさんの人と共に行動し、自分を見つめるいい体験ができました。

 

 

 

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