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国際保健協力フィールドワークで得たもの

堀愛(産業医科大学医学部5年)

 

日本各地からの学生が集うプログラムということで、私が参加前からこれまで変わらず意識的に念頭に置いていたことは、産業医大生としての「もののみかた」を常に持つということであった。宣伝ではないが補足しておくと、産業医科大学は日本で唯一、産業保健のプロフェッショナルを養成するために設立された医大である。卒後は何らかの形で産業保健分野に携わろうと、現在自分自身の進路を模索している時期ということもあり、これまで大学内外で学んだ(かじった)産業保健が、国際機関(WHO)、及びフィリピンという日本国外のフィールドの一つではどのように位置付けられ、実施され、評価されているのかをこのチャンスに見ることが、私の大きな目標の一つであった。

その目的は、私のつたない英語力及び知識不足で十分に達成されたとは言いがたいが、主にWHOにて政策面での現状を伺うことが出来た。また、例えばパヤタスのスカベンジャー(こういう職種の存在自体の可否はともかく。有害ガス漂う巨大なゴミ山から資源ゴミを回収して生計をたてる人々のこと)の労働/生活環境は、産業保健以前に基本的人権の問題では?と考えさせられる局面もあった。一方、個人的には、WHO産業保健部門の担当者の先生に直接「進路相談」にのって頂けたことが重要な経験であった。まだまだ女性は少ない分野だが、産業保健の専門家はどこにいっても求められているので、良く勉強するように、とのコメントであった。ところで最近、尊敬する先輩から、「産業保健の主役は労働者」「産業保健の仕事とは、労働者自身の職場改善の提案を支え、自らの安全衛生への取り組みを専門知識で後押しすること」という言葉を頂いたのだが、「国際保健」という分野も、職場を地域、労働者を地域住民、安全衛生をPHCに置き換えれば、まさにそれと一緒であろう、とこのフィールドワークから帰った後に考えた。(「気づかれていない問題」には、また別のアプローチが用いられるのだろうが。)未だに、自分がどのような道に進むか見えて来ないが、いずれにせよ、いつかは日本国外でも仕事をできる機会を持とうと考えるようになっている。そのための、語学力、勤勉さ、自己管理能力を鍛練しようと反省しきりの、よいモチベーションとなる機会であった。

さて、筆舌に尽くしがたいほど楽しい仲間との11日間は、あらゆる面で非常に濃密であった。上述のように狭い視点を持って参加した私にとって、立場も価値観も将来の夢も異なる彼等は、しばしばとても貴重な「気づき」を与えてくれたのであった。これほどのチームワークをもった組織に属したことは、残念ながらいまだかつてない。慢性的な睡眠不足にもめげず、種々のトラブルにもめげず、毎夜毎夜のSanmiguel ビールの集いの時間でさえ、皆それぞれのキャラクターを活かして活発な議論を展開し、このうえないひとときを過ごすことができた。また、増え続ける名刺の束を眺めつつ、このように魅力的な人々と将来また出会えることを願ったりした。

この場を借りて、貴重な機会を与えて下さった笹川記念保健協力財団、いつも大変面倒見よく学生を支えて下さったDr. Barua、財団の松本さんと泉さん、同行して下さったDOHのオリヴィアさんとクリスティーナさん、医学書院の滝沢さん、そして勉強をさせて下さったすべての方々に、改めて感謝の意を伝えたいと思います。そして、13人の大切な友人へ、ありがとう、これからもずっとよろしくね!

 

 

 

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