日本財団 図書館


それに対して『黒船』には、かなりロマンティックな形ではあるが日本人側の感情がそれなりに描かれていて、内容的にもユニークな存在だ。現代人の感覚からするとやや時代錯誤の面もあるため、今日のレパートリーにするには相応の工夫が必要だろうが、日本オペラ史の上では、台本、音楽ともに画期的な作品だった。

この『黒船』が生まれるまでに、日本オペラには35年の前史がある。西洋音楽の様式で書かれた日本独自のオペラを創ろうという動きは、1905(明治38)年の『露営の夢』(北村季晴作詞作曲)や1906(明治39)年の『羽衣』(小松耕輔作詞作曲)などを出発点に、様々に続けられてきた。それらの作品に関する研究は、資料も不十分でまだ不明な部分が多いのだが、概して編成は小規模、上演時間も短く、ストーリーや作劇術、音楽表現ともにごく素朴なものが大半だったと思われる。作曲技法としては、唱歌調の歌がつながって簡単な物語が進行するといった段階から出発し、題材としては能・狂言や昔話を基にしたものが多かった。親しみやすいオペレッタ風の演目や子ども用の音楽劇の類いも盛んに創られ、その一部は今日のミュージカルの興隆につながっている。

日本オペラの一応の様式が整い、表現内容の充実した作品が次々に書かれるようになって公演の回数も飛躍的に増えるのは、戦後、1950年代以降で、そのきっかけになったのが、1952(昭和27)年に初演された團伊玖磨のオペラ第一作、木下順二台本による『夕鶴』だったことはよく知られている。團伊玖磨は山田耕筰と関わりの深い作曲家で、『黒船』で第一歩を踏み出した日本の正統派グランドオペラ創作の路線がここに引き継がれた。この時期が日本のいわゆる「国民オペラ」の成立期で、以後、今日まで途切れることなく発展が続く。

 

その頃、『夕鶴』は「民話オペラ」といわれた。いや、『夕鶴』だけではない。戦後の民話ブームのなかで『夕鶴』に触発される形で『河童譚』、『赤い陣羽織』、『寝太』、『あまんじゃくとうりこひめ』、『昔噺人買太郎兵衛』、『絵姿女房』、『ごんぼうぎつね』等々、民話風の題材による多数のオペラ、オペレッタがいろいろな作者の手によって生まれた。團伊玖磨自身も『夕鶴』に続いて、同じ木下順二の台本による民話調のオペラ『聴耳頭巾』を1955年に初演している。

これらの「民話オペラ」は1950年代に爆発的に数が増え、ひところは日本オペラといえばすなわち民話オペラとまっさきにイメージされるほどだった。編成は二管編成以上のオーケストラを用いた中・大劇場向きのものもあったが、どちらかといえば室内オペラ規模のものが多く、劇構成も簡潔な一幕物が多かった。小編成の演目は比較的手軽に上演できるため、オペラ、オペレッタの全国的な普及に果たした役割が大きかったことは軽視できない。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION