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オペラ「ちゃんちき」について

加藤 どうやったらこの作品に今日只今の視点を持てるか?“ちゃんちき”はテキストは民話的だが、民話オペラではない。團さんの曲は明らかに近代を、近代人を対象化しようとしている。と、そうボクは読む。聴く。だから、歌い演じる人と、歌と演技にそれぞれ距離間が持てないかと目論んでいるんだ。それからコーラス。ボクはコロスと呼ぶんだけれど。物語を歌い語ったり、時には風だったり擬音だったり、時にアジったり面白がる見物人かと思うと退屈そうにソッポをむいて見なかったり。だが決して一人一人の表情が画一的でなく、バラバラのまさに70人の別々の人たちがそこにいる、という具合にしたい。サムが考え出してくれた丸太で組んだ懐かしい芝居小屋風のセットは、それで我が意を得たりで嬉しい限り。

串田 こういうオリジナルのオペラがあるということは、当たり前の言い方だけれども、日本のオペラの可能性だと思う。

加藤 そうだね。可能性が多大。どう料理しても結構ですよ、という團さんがいることも、なかなか素敵だな。

串田 それに、話自体がそんなに感情移入するものではない。

加藤 衣裳の話を最初にした時、あまり日本人とか日本の民話とかを気にしないで、いつの時代かどこの国か分からないようにして欲しいと言ったと思うが、サムの作品は、わざわざそう言うまでもなく、どれもだいたい無国籍的に感じるよね。それは何故?

串田 例えばチベットの人の服を見ていると、民族衣装にジャンパーを羽織ってさらに布を巻いていたり、どこからどこまでが民族衣装なのか分からない。それを見ると“この世の中はこういうふうに動いていくものだな、もっと楽に世の中に向かっていけばいいな”という気持ちがする。無理矢理新しくもなく、無理矢理古くもない。

加藤 今回も是非そういう世界にしたい。誤解して着ていても、それも何だかいいじゃない、とか。一人一人違う人にして欲しい。

串田 その人流に着崩すことの面白さというのがあると思う。今回の衣裳は、どうやってもある形になってしまう、気付かないうちに表現してしまう、という要素をそこにプラスしようと思っている。

 

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舞台装置デザイン画/串田和美

 

 

 

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