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妙見神の由来

妙見宮実紀や社記などによりますと、天武帝白鳳9年(六八○)の秋、中国明州(寧波)から妙見神が亀蛇の背に乗って海を渡り、八代郡土北郷八千把村竹原津に上陸し、この地に約3年間仮座したのが始まりと伝えられています。またこの中国渡来説の他、妙見神は百済国聖明王の第三皇子琳聖太子であるとの百済渡来説とがあります。

 

妙見宮由緒

妙見宮は上宮、中宮、下宮の三社があり、妙見上宮は八代市横嶽(三室山)の海抜四百mの山頂に、妙見中宮は上宮の麓、中宮川の谷の奥にあります。妙見下宮は文治2年(一一八六)11月15日、八代郡太田郷赤土山の下に創建したと伝えられています。中世から近世は八代郡の領主や大名の崇敬社でした。特に中世の相良氏は崇敬が篤く祭礼や鳥居などを寄進しています。

寛永9年(一六三二)加藤家の改易により細川忠興(三斎)が隠居として八代城に入城し、百石の社領を寄付しました。忠興の没後、松井氏が城主格として八代城に入り、妙見宮祭礼は細川家の直祭りから松井氏代々の請祭りとなり、豪華な祭礼が行われ九州三大祭り(長崎諏訪神社・博多筥崎宮)の随一と云われるほどの盛況を呈しました。

 

宮之町

菊慈童(きくじどう)

菊慈童とは古代中国の皇帝のもとに仕えた少年で、ある山奥で菊の葉したたる水を飲んで仙人となり、七百歳になっても子どものように若々しかったことを祝ったものです。宮之町は他の町より由来が古く、どんなに悪天候でもこの菊慈童だけは最後まで行列にでなければなりません。

 

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本町

本蝶蕪(ほんちょうかぶ)

笠鉾の上に本町の「本」という文字、「あげは蝶」そして「蕉」が飾られ、本町の商売繁盛と子孫の繁栄などを表しています。

 

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二之町

蘇鉄(そてつ)

蘇鉄は不老長寿と火よけ、そして起死回生を祝う霊木とされ、優れた人物があらわれ、土地や家門が繁栄する証として飾られています。

 

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通町

西王母(せいおうぼ)

西王母は古代中国の神話の中で、崑崙山という西の果ての山に住み、不老不死の薬を持っているとされている仙人で、人々の不老長寿を表しています。

 

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紺屋町

猩々(しょうじょう)

猩々は中国揚子江に住む想像上の動物で、どんなに汲んでも尽きることがない酒壼をもち、親孝行をする者に褒美としてその酒壼を与えました。

 

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中島町

蜜柑(みかん)

蜜柑は一つ食べると千年も寿命が延びるというめでたい食べ物とされ、八代蜜柑は江戸時代に細川家から宮中や将軍家へ、正月の献上品となっていました。

 

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徳渕町

渕原町

恵比須(えびす)

福の神の恵比須が、釣り上げた大きな鯛の上に乗っている姿は、豊富な海の幸と幸福を表し、港として栄えた徳渕町の歴史を物語っています。

 

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平河原町

松(まつ)

松は「相生の松」とも呼ばれ、夫婦ともに白髪が生えるまで長く、そして仲むつまじく暮らせることを願っています。

 

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塩屋町

003-10.gif(かりょうびんが)

この羽根を大きく広げた003-11.gif陵頻伽は、極楽にいる大変美しい鳥です。この世が極楽さながらの世界でありたいという願いを表しています。

 

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