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そして曲は、2つの文明はいまだ結びついてはいないが、将来必ず融和するであろうと、未来へ希望を託して結ばれる。まさに耕筰の思想というか理想が、そのものずばりで出ている作品といえよう。しかもこの曲の中で耕筰が、西洋文明を懸命に受容している近代日本の姿を表す主題として用いるのは、ミソラファソラなる旋律である。これを細かく検討してみれば、その出だしのミソラと音程を4度持ち上げてゆく動きは、雅楽や民謡の音階と密接に関連し、しかも日本の国歌『君が代』でも「ちよに」や「さざれ」のところで現れ、国歌の核を成す音型になっている。つまりミソラには日本の伝統的音感が濃縮されているといっていい。ところが耕筰はこのミソラの次にファを持ってくる。となるとミファソラという西洋的音階の手触りが入ってくるから、そこでこの旋律には西洋の息吹きが大きく吹き込まれることになる。つまり、ミソラファソラなる音の動き自体が、日本と西洋の周到なブレンド、耕筰の理想を示すメッセージになっているわけだ。

そうしたブレンドの実験は、『明治頌歌』のあとにやってくる歌曲の時代でも、たっぷり行われてゆく。たとえば耕筰歌曲の逸品『からたちの花』。その音楽は歌のパートといいピアノ伴奏といい、音符だけ取り出せば西洋の音感に支配されているように見える。結びに鳴るのもト長調の和音だ。が、その西洋的音感は、日本語の高低アクセントに忠実に旋律の上がり下がりを動かしてゆく方法や、耕筰が長唄や清元から学んだ、音高の上がるときにはディミニュエンド、下がるときにはクレッシェンドさせる強弱法といった、日本的音感の様々とみっしり結び合わされることで、日本と西洋の確実な出会いを演出しているのである。

そしてこれらの試みの末、耕筰はついにその生涯のひとつの決算というべきオペラ『黒船』を1940年に初演する。そこでは日本的な響きと西洋的な響き、歌舞伎の手法とグランド・オペラの手法が様々に遭遇している。けれど、終幕で完全な大団円がもたらされ、耕筰の夢が完壁に具現するという風にはなっていないようだ。なぜならその物語は、黒船の最後に轟かす大砲が日本への友誼の情を示す礼砲か、日本を攻撃する談判決裂の実弾射撃か、ハッキリさせず閉じられてしまうから。結局、耕筰は、日本と西洋との真なる融和の理想を指し示すだけで、その実現は後世に委ねていってしまったのだろう。『黒船』初演の翌年、東西両文明の激突としての日米戦争か始まったのは決して偶然ではない。

 

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佐藤美子、関種子に囲まれて。

左端に北原白秋の顔も見える。

 

 

 

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