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本稿では、「国際法上の海賊行為」が公海上の犯罪行為であるとして、領海及び内水の犯罪行為を除外していった過程をたどることにより、改めて「国際法上の海賊行為」の意義と範囲を確認するとともに、現在の海賊・武装強盗問題への対応を考えることにしたい。

 

1 英米における海賊関係国内法及び判例

(1) 16、7世紀の英国国内法

英国は、16世紀にはスチュアート王朝以降、海賊行為を抑止するために、いくつかの制定法を定めた(3)。これらは、海事管轄権下で犯された海賊、強盗、殺人等が海事裁判所の裁判権に服すると定めたものであったが、いずれも、海賊行為そのものの定義規定はおかれていなかった。何が海賊行為に当たるのか、という点については、もっぱら裁判所に委ねていたと言われている(4)。さらに、英国は、伝統的な海賊行為に該当しない行為についても、国内法によって処罰される違反類型を定めるという立法を行ない、それを「制定法上の海賊行為」と呼んでいる。たとえば、1698年海賊法は、外国の特許を得た英国国民が自国民に対して海賊行為を犯すこと、船長等が自船を海賊に提供したり、海賊を援助することなどを「制定法上の海賊行為」とみなすとし、1721年海賊法も、海賊との取引、船舶への強制的乗船、積荷の破壊や海中投棄を「制定法上の海賊行為」と規定し、1824年海賊法では奴隷取引行為をも海賊行為として取り扱うと定めたのであった。このように、その「国内法上の海賊」の範囲を拡大していったが、「国際法上の海賊」との区別が十分に確立されていたわけではなかった。(5)

 

(2) US v Furlong事件(1820年米国連邦最高裁判所)

(18 U. S. (5 Wheat.) 184 (1820))

本件は、いくつかの殺人及び強盗事件に対して、同時に判決を下したものであり、米国船乗組みの英国人が、英国船舶内の英国人に対して行った殺人行為、陸影に風待ちのため距岸1リーグ以内に錨泊中の米国船に対する海賊行為、ブエノスアイレス共和国のコミッションを得た私掠船乗組みの米国人が、ボナビスタ島(カナダ)の停泊地に錨泊中の英国船内で行った強盗行為などが、1790年4月30日法により処罰することができるかどうかが争われた。

 

 

 

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