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連邦最高裁は、海賊行為を「海上における強盗行為」と定義したうえで、行為が「川、港、内湾又は湾」ではなく、オープンシーの停泊場所に停泊している船舶内で行われたものであれば、距岸1リーグ以内の場所であっても海賊行為として処罰可能という判断を下しており、ここでは、海賊行為の場所的要件として、内水と海上の区分を行っているが、領海と公海の区分は行ってはいなかった。

 

(3) サーハッサン海賊事件(1845年2月4日英国海事裁判所判決)

Serhassan Pirate, ( [1845] 2 Wm. Rob 354)

1843年5月10日、海賊取締りのために派遣された英国軍艦ディド号は、ボルネオ島北西のサーハッサン島沖合に錨泊していたが、同号から海岸に派遣されたピンネース及びカッターに対して、120名以上のマレー人が6艘の土人船で攻撃を加えた事件である。当時の英国海賊防止法(6 Geo. IV, c. 49)は、海賊船舶の捕獲を促進するため、海賊を捕獲したものに褒賞金(bounty)を与える旨を規定していたが、海賊行為(an act of piracy)そのものを定義していなかった。軍艦ディド号側が、本事件について褒賞金(bounty)を請求したのに対して、英国海事裁判所のルシントン判事は、それが海岸近くで発生した事件であるにもかかわらず、海賊行為であると判示した。

 

(4) マゼラン海賊事件(1853年7月26日英国海事裁判所)

Magellan Pirate, ([1853] 1 Sp Ecc & Ad. 81)

(ア) 事実関係

1851年後半、チリ国内で、いくつかの反乱・暴動が発生した。その一つとして、マゼラン海峡に面したプンタ・アレナス(Punta Arenas)に置かれていた囚人居留地で、その守備隊将校が仲間と共に反乱をおこした。彼ら(チリ国民)は、知事を殺害し、さらに、港内に停泊中の英国船舶エリーザ・コルニッシュ号(The Eliza Cornish)の船長及び乗船していた所有者を殺害、米国船フロリダ号(The Florida)の乗船していた所有者を殺害して、両船舶を乗っ取り、これらを出港させた。

 

 

 

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