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New Elder Citizens

新老人の生き方に学ぶ3]

 

人は皆同じ、我もまた我師

黒澤公夫

人の出会いは、その人の人生を作るといわれますが、全くその通りだと思います。私達は生まれてから死ぬまでに色々な人に出会います。ソニーの名誉会長だった井深大(まさる)さんの言葉によりますと、人は何が好き何が嫌いかでその人の性格の基本が決まるといいます。生まれたての赤ちゃんは5日位でお母さんの乳の匂い、からだの匂いを完全におぼえそれが好きになる。お母さんの声、抱き方、撫で方、あやし方にはじまってお母さんの毎日の繰り返しのすべてが好きになってしまいます。これこそが心の誕生で、そこには深い母親の愛情があり温かい心はそこに育つと言っております。私も幼年期、青年期、壮年期、老年期とその節目節目には、心に残る良き師をもてた幸せを感謝しております。特に昭和59年には、朝日新聞のエッセイを読んで日野原先生と、般若心経入門を通して松原泰道先生との出会いがあったことは、私の人生観を変えるきっかけになりました。それは人生をどのように生きたらよいかという問題です。

あれから16年たちました。日野原先生からは第一生命ホールでの講演会をはじめ、LPCでの予防医学、ヘルスボランティア講座などいくつかのセミナーに参加して健康の自主管理の方法を学び、健康は自分で守るものだということを実感いたしました。高尾山へのハイキング、ハワイでの世界健診医学会での総会にもお供させていただき、本当に勉強させていただきました。私がいつも感心していることは、先生は人間をどんな時にも同一線上にとらえて接してくださることです。アメリカ大統領のレーガンさんが来られて、医師団の団長を務められた時も、68年前に初めて受け持たれた製糸工場の女工さんに対しても、行うことは不増不減なのです。大慈悲心をもって接してくださることです。先生のこのお考えが日本に広がれば、日本はなんと良い国になることでしょう。

私は戦争前には精密機械設計を勉強して、海軍の研究所で航空兵器の実験研究に従事しておりました。この結果、考えるという習慣が身につきました。36歳の時に結核にかかり1年半ほど入院療養したときも、新聞を隅から隅まで読んで、時局を風刺したコラムをつくり投書して、大関の格をもらい楽しんだものです。体調が回復してからは、友達と一緒に小さな会社をつくりました。工場などもっていませんから、アイデアを図面化して、それを特徴のある部門に割り当てて製品にまとめるというものです。

48歳の時には、詩吟を習いはじめました。この経験は、私の人生にプラス面を与えてくれました。まず詩や歌を覚えるということのほか、心身の修養の場として、人前で何でも発表することができるようになり、いくつかの会長をおおせつかってもこれに対応することができるようになりました。75歳になったとき、パソコンで協力してくれていた友人を亡くしました。彼は私が講演会の内容をテープから聞きとり清書したものを、ワープロ編集してくれていました。あれから7年、今ではワープロは私の分身としてなくてはならない存在となりました。俳句も作ります。私のは先生について習うというものではなく、新聞や雑誌に掲載されているものを読み、先に選者の評を読み、句を味わうというものです。画もやります。敬老会の園芸部門で手品もやります。とても評判がよいです。

歳をとることはすばらしいことです。全部が自分の好きなように使える時間です。私はマッカーサー元帥が座右の銘としていたサムエル・ウルマンの青春の詩をそのまま戴いて、生きる命のことばとしています。『年を重ねただけでは人は老いない、理想を失うときに初めて老いがくる、歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うときに精神はしぼむ』…何と素晴らしい詩ではないでしょうか。

 

 

 

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