日本財団 図書館


私が人に見せようとすると、一人でやっている時ほど動かず、これでは信用してもらえないなと思い、ハッキリ動かせるまでは誰にも秘密にして、一人で特訓するのが密かな楽しみになりました。すると10日もするうちに、動くはずのなかった腕が誰の目から見てもほんの少しですが動くようになったのです。

 

周囲の応援に支えられて

術後しばらくするとリハビリです。内側に曲がり腫れて動かない指、車イスから立てるけれどひきずらなければ前に出ない痺れた右足。でも腕が少し動かせたことでハイな気分の私は、やる気満々で、リハビリの先生に「チャレンジするのは大好きですから」などと申し上げて、先生から「もっとヨレヨレの人が来るかと思っていたのに元気ですね」とビックリされました。歩行訓練の時には、ずっと通っていたジャズダンスのM先生のお言葉を思い出し、「足を出す時は膝を曲げず、着地はカカトからなるべく足の内側親指のほうに力を入れて歩くこと、それからお腹はひっこめて背中は真っすぐよ」、出来なくてもそう心がけて歩きました。その後は、毎日面会に来る主人の腕につかまって、病院の廊下をぐるぐると何十回歩いたことでしょう。頑張ったかいがあって退院の時は一人で歩けました。でも手のほうはそう順調にはいかなくて、リハビリの先生が腕を肩まで上げてくださったり、指を一本一本ひろげて伸ばしてくださる時の痛さといったら涙が出そうなくらいでした。また、左手を添えながらやっと動く親指と人指し指で物をつまむ訓練のじれったいことなど、それは苦しいものでしたが、あんなに動かなかった腕が使える喜びであまり苦にはなりませんでした。

退院後も、夜には痛みで眠れず、夜中に何度も起きてしまいました。温めると楽になるので、ドライヤーの温風をパジャマの袖から送風してしのいだり、主婦なのでやはり家事はやらなくてはならず、高齢の母に助けられながらも、困ったことも沢山ございました。でも夜になるとまだ学生だった、息子が腫れて曲がってしまった指を欠かさずマッサージしてくれました。毎日渋滞のなかを片道1時間の病院までの送り迎えをしてくださった友人達にも恵まれて、一人ではとても頑張れなかったその後のリハビリも楽しく続けることが出来ました。一度などはあまり二人でおしゃべりに夢中になり、病院を通り過ごしてしまい、慌てたこともよい思い出でございます。Aさん、Tさん本当にありがとうございました。

 

リハビリは楽しみとともに

私のリハビリのコツは、楽しみながらすることにつきます。先生に御報告したことは、ネジ式のイヤリングが自分でつけられるようになりましたとか、後ろボタンの洋服が着られるようになりましたといったことでした。また先生に「この左手のマニキュアはご自分で塗られたのですか。きれいに塗れてますね」とほめていただいて嬉しかったりと、私の場合は好きなオシャレを楽しみながらリハビリが着々と進んだように思います。リハビリをする折には、あまり頑張らず自分の好きなことをハンディを気にせず、あせらずなさるのがよいのではないでしょうか。またご自分がどうなりたいのかしっかりとイメージを持つことも役に立つような気がいたします。

最近は2年前から始めておりました水中ウォーキングの時、遊ばせている手がもったいないと、自己流の手首、手の平体操をやっておりましたら、なんと長い間できなかった針仕事が少し出来るようになり、名前を書く程度だった筆記も大分長く書けるようにもなりました。これに力を得て、2〜3日前からはゴルファーやテニスプレイヤーが手首や腕を鍛えるヴィナフレックスという小さなボールを手に入れて、毎日テレビを観ながら遊んでおります。これできっと半年後にはさらに手がよくなって、曲がっている指ももっとのびて格好よくなるかも知れないと楽しみにしております。

人間の筋肉も機能も、何年たっても、また脳出血の後でも鍛えれば鍛えるほど復活するものなのだなと実感いたしております。

現在病気のただ中にいらっしゃる方、なかなかリハビリの効果が出ない方、本当に絶望的で、何もせずただただ泣きたい思いの方もおいででしょう。けれどもどんなに嫌な苦しいこともまた残念ながらどんな素敵なことも終わりがあるのです。病気の時くらいはあまり浮世のもろもろを心配せずに、神様の大きな御手に運命をおあずけして、心安らかにお過ごしになられたらいかがでしょうか。

皆様のお幸せをお祈りいたします。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION