日本財団 図書館


開催にあたって

 

コーディネーター 上田正昭 京都大学名誉教授

003-1.gif

 

石門心学の現代的意義

もうすぐ21世紀の幕開けです。私たち日本人は確かに科学技術・経済の発展により物質的豊かさは手にしたが、何か心満たされぬものがあります。世紀末の今、世の中何かおかしい、日本人が大事な何かを忘れているのではないかという思いがしてなりません。今こそ真の豊かさとは、物質的豊かさの追求だけでなく、心の豊かさが伴う必要があると思います。「心を知る」ことを重視した梅岩の学問は、たんなる観念論ではありませんでした。知るもの(自己)と知られるもの(事物・道理)その両者の心を一つにすることが、「真に心を知ること」であり、「発明して(心を知って)」自由に動く心を体得することができると力説しました。元禄の繁栄の影にはバブル経済がありました。梅岩が開講した享保十四年(1729年)のころは、バブルの崩壊をうけての財政再建の時代でありました。その推移は今の世相に類似しています。経済の大きなうねりに翻弄されるこの時代にあたり、「人の人たる道」を説く石田梅岩の教えは、今後の我々日本人の心のあり方を示す原点であると考えます。

 

パネリスト 稲盛和夫 京セラ株式会社名誉会長

003-2.gif

 

21世紀企業モラルと新資本主義

今日、我が国は強力な経済力を持ち、国民の生活も豊かで便利になりました。しかし、昨今は、政治・経済・社会・教育と広い分野で日本の戦後システムが行き詰まりを呈しています。これを背景に倫理・道義面におけるモラルの退廃は社会の根底を揺るがしかねぬ情況です。企業にあっても、経営者の中には、利益追求のみを掲げ、私利私欲に目がくらみ、安易なリストラを行い、信用を落としている会社もあります。「経営者には会社を永続させ、社員とその家族を養い、仕事を通して社会に貢献する」という自覚がなければなりません。この京都には、商家(企業)のあり方・人間の生き方について説いた石田梅岩がいます。石田梅岩は、江戸時代中期に、生きることを「こころ」の問題として捉え、「正直・倹約・勤勉」の徳をすすめ、「先も立ち、我も立つ」という哲学を打立てました。私も、企業人であれ、生活者個人であれ、「生かされている」という謙虚な心がより良い社会をつくる基礎となると思っています。利益の追求も大事ですが、少なくとも、これからの社会のリーダーたる立場の人々には、社会の一員としての「社会的自覚」「社会的使命」を再確認すべきなのです。そのために、私は常に「動機は善なりや、私心なかりしか」「善行・利他行を積むことを心の内に忘れぬことだ」と思っています。モラルハザード(倫理の欠如)が叫ばれる中で、企業でも個人でもモラルの確立こそが、心と社会の危機を救うものと確信しています。明るい21世紀を迎えるために「温故知新」の精神で意識の改革を図ることが今求められているのではないでしょうか。

 

003-4.gif

003-3.gif

 

心学と日常の生活倫理

私の心学とのかかわりは、昭和10年前後のことであったと思う。病床に臥していた祖父が、時たま布団の上に静座して私ども3人を前にお説教をしてくれた。人間は正直でなければならない、倹約をしなければならない、よく働かねばならない、ということを子どもにも理解できるような易しい話をたとえに説いてくれた。

この30年、日本人は、物は豊かになったけれど、心は豊かでないと思われてならない。大人・子どもたちの言動を見聞きするにつけ、日常の生活倫理が喪失してしまった感がある。正に衣食足りて礼節なし、である。「あいさつ・言葉づかい」「時間や物の大切さ」「家事の手伝い」「後始末・整理整頓」等の基本的生活習慣や「善悪の判断」「忍耐力」「団らんのある食事」「祖先への敬愛」「ルールとマナー」等の人間としてのモラルや宗教的情操を育てる教育が欠けている。これらの欠如が自分さえよければという、自己中心的個人が増加している原因ではないかと思う。心の豊かな人間なくして、より良い社会となる筈もない。大人社会の不祥事、少年の凶悪な犯罪、いじめ、不登校、子ども虐待等の増大はこれらの基礎・基本的な躾・けじめが家庭だけでなく、学校でも地域社会でもなされてこなかったのではないかと思う。梅岩は「親が子を育てるとき、愛情に溺れて子の我儘を通してしまって我慢・忍耐を教えないから、子は不孝者となって家を亡くしてしまう」「子を直そうと思うならば、まずわが身を正しくし、過はすぐ改め、約束を守り、言行が一つになるよう教えることです。子どもは自然に親を見習うようになってきます」と語録で述べています。また、「道を往来するときは、夏は日陰を人に譲って、自らは日あたりを歩き、冬は日あたりを人に譲って、自らは陰を歩く」と事蹟にあります。このような倫理的個人の育成こそが21世紀の日本に新しい光をもたらすものと確信します。会社・組織における個人も同じで、「実の商人は先もたち、我も立つことを思うべし」である。今こそ、「人の人たる道」を模索するため、梅岩の教えを再び学び、日本人のこころの復活を目指したいものである。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION