心学と日常の生活倫理
私の心学とのかかわりは、昭和10年前後のことであったと思う。病床に臥していた祖父が、時たま布団の上に静座して私ども3人を前にお説教をしてくれた。人間は正直でなければならない、倹約をしなければならない、よく働かねばならない、ということを子どもにも理解できるような易しい話をたとえに説いてくれた。
この30年、日本人は、物は豊かになったけれど、心は豊かでないと思われてならない。大人・子どもたちの言動を見聞きするにつけ、日常の生活倫理が喪失してしまった感がある。正に衣食足りて礼節なし、である。「あいさつ・言葉づかい」「時間や物の大切さ」「家事の手伝い」「後始末・整理整頓」等の基本的生活習慣や「善悪の判断」「忍耐力」「団らんのある食事」「祖先への敬愛」「ルールとマナー」等の人間としてのモラルや宗教的情操を育てる教育が欠けている。これらの欠如が自分さえよければという、自己中心的個人が増加している原因ではないかと思う。心の豊かな人間なくして、より良い社会となる筈もない。大人社会の不祥事、少年の凶悪な犯罪、いじめ、不登校、子ども虐待等の増大はこれらの基礎・基本的な躾・けじめが家庭だけでなく、学校でも地域社会でもなされてこなかったのではないかと思う。梅岩は「親が子を育てるとき、愛情に溺れて子の我儘を通してしまって我慢・忍耐を教えないから、子は不孝者となって家を亡くしてしまう」「子を直そうと思うならば、まずわが身を正しくし、過はすぐ改め、約束を守り、言行が一つになるよう教えることです。子どもは自然に親を見習うようになってきます」と語録で述べています。また、「道を往来するときは、夏は日陰を人に譲って、自らは日あたりを歩き、冬は日あたりを人に譲って、自らは陰を歩く」と事蹟にあります。このような倫理的個人の育成こそが21世紀の日本に新しい光をもたらすものと確信します。会社・組織における個人も同じで、「実の商人は先もたち、我も立つことを思うべし」である。今こそ、「人の人たる道」を模索するため、梅岩の教えを再び学び、日本人のこころの復活を目指したいものである。