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Dr. Robert N. Bellah

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略歴

アメリカの社会宗教学者。1929年オクラホマ州に生まれる。ハーバード大学卒業後、同大学中近東研究センター研究員、教授を経て、現在カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。マックス・ウエーバーやデュルケーム等の理論を基礎に体系的比較的視点から宗教と社会の関係について研究。アジア特に“日本の近代化と宗教思想の役割”に強い関心をもち続けている。ベラー氏はエドウィン・ライシャワー等の指導で日本の歴史文化の理解を深めた。そして「徳川時代の宗教」の出版にあたっては、日本の近代化の根源は明治維新以前の日本文化の伝統の中にあると明確化した。その中で西欧以外の国で初めて日本の近代化が成し遂げられたのは、主として江戸時代の宗教文化的背景にあり、その典型として「石田梅岩」を取上げている。

 

著書

「日本近代化と宗教倫理」(1966、堀一郎・池田昭訳)

「破られた契約」(1983、松本滋・中川徹子訳)

「心の習慣」(1991、島薗進・中村圭志訳)

「徳川時代の宗教」(1996、池田昭改訳)

 

講演要旨

〜心学と21世紀の日本〜

まず始めに石田梅岩について話し、自分の名声や財産よりも道を探すことに専心する姿に重点を置きます。また、梅岩の思想の源についても話し、ここでは禅仏教と新儒教、特にこうした伝統の普遍主義的な面を強調します。

マックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で最初に論じた宗教と経済発展の関係を考えたいと思います。宗教は本源的意味と倫理的価値の問題と関係しています。石田梅岩は誠実さと勤勉を説きましたが、宗教を豊かさという目標にいたるための単なる実用手段として使うということは、梅岩の目的ではありませんでした。

次に、日本とアメリカの両国には他の国々とは異なるある特殊な環境があります。そして、この特殊な環境はある観点からすれば互いに似ています。アメリカでも日本でも、神と国家の間には特別な関係があると考えられてきました。アメリカ人は自分たちを「選ばれた人々」「神の新しい選民」「救世主」と信じてきました。アメリカ人は神の意志を実行しているのだと信じるようになりました。また、少なくとも1945年までは、日本は「神々の土地」であり、日本の天皇は天照大神の子孫であるという考えが日本でもアメリカと同じような役割を果たしていました。1989年の冷戦の終結によって、アメリカを「メシアの国」と考えることは終局を迎えたはずでした。しかし、自由市場経済と民主政治という点においてアメリカが他のすべての国々のモデルであるという概念に形を変えて、この考えは生き残りました。アメリカ人は今も他のすべての国々にアメリカの近代主義を輸出しようとし、世界中をアメリカのようにしようと圧力をかけています。

次に、今年の1月に小渕首相が発表した21世紀の日本の望ましいゴールについての報告書について触れます。この報告書では英語を「第二言語」として推奨し、「自立、独立独行の精神」「個人の権利、権限」を論じ、服従を対比させています。倫理的普遍主義の中で達成されない限り、こうしたゴールは破壊的なものとなる可能性があるということを私は論じます。これは私たちが、「心の習慣」の中で「実用的個人」と呼んだものの一種です。これは個人を私利だけに関連づけて見たものです。アメリカではこうした種類の個人主義が蔓延したことにより、様々な悪い結果が生まれました。日本においてはこの個人主義はより破壊的なものになると私は信じています。

次に、日本には倫理的普遍主義の伝統があったことを強調し、仏教と儒教について、そして、石田梅岩がこの仏教と儒教を統合したことを話します。「自由市場」にすべての決定権を与えようとするアメリカの圧力に日本が屈することは破壊的なことであり、自らの精神の源を求め、そこに立ち戻ることのみが日本がこれからの難しい時代を進んでいくことができる、ということを話します。

次に、日本が1980年代末につまずいたように、アメリカもそう遠くない将来につまずく可能性があるのです。21世紀の良い社会のモデルはありません。それぞれの社会が独自の道を見つけなければなりません。しかし、偉大な普遍的宗教伝統の倫理的精神的な源に手がかりを求めて、それぞれの社会は独自の方法をきちんと発見しなければなりません。以上のことから、日本において良い社会を探し求める上で心学はまだ発言権あると私は考えます。

 

 

 

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