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第5章 結果:ガラス越しに、ぼんやりと

 

「組織の、イデオロギー的な出力(成果)は、‘言説’である。政治組織は、口頭であれ、書面であれ、みずからの言を非常に重視する…。言説、決定、それに成果は、政治組織がみずからの正統性と周囲の支援を勝ち取る際に用いる、相互に独立した手段である…。偽善は政治組織の行動の基本型である:一つの需要を満たすような言説をなし、また別の需要を満たすような決定を下し、第三の需要を満たすような成果を提供する。」

(Brunsson, 1989, pp.26-7)

 

5.1 結果:不安定な概念

 

たくさんの改革のすべてから、どんな結果が生じたかという問いは、明らかに基本的な問いの一つである。だが、少しも簡単な問いではない。「結果」というラベルは、多くの異なる局面に貼付できるし、さまざまな考え方を織り込むことができる。ブルンソンの言うとおり、言説と決定は、実際の行動と同じく、出力の重要なタイプとして考えられる。さらに、多くのことが、だれが、だれのために、なぜ評価するのかによって大きく左右される。したがって、「結果」について完全に論じることは、「だれのために、だれによって定義された、どんな目標に対する結果か」という、より大きな問いに取り組むことでもある。

 

改革―とくにイギリスや北米の改革―の周囲にある政治的なレトリックの中には、ユートピア的資質を持つものもある。地上の楽園で市民が享受するサービスは高品質かつ低価格で、利用しやすく、対応が早い。市民は、ますます自分たちの政府に満足するようになる。一方、公務員は新しい文化を獲得し、経済性、効率性、有効性、それに顧客サービスといった価値を浸透させる。市民は権限を与えられているし、公務員は政治家からも市民からも同様に信頼されているし、政治家自身は「指導力」を発揮して政策を誘導している。ただ惜しむらくは、このすべてが一つの箱に入っているわけではないことだ。それにしても、もしかしたら、一つの箱に入れることもできるかもしれない―多くの政府がみずからの改革の産物を輸出するという野心に燃えているように見えたからである。「〈市民憲章〉は、品質を高め、選択の幅を広げ、よりよい価値を保証し、説明責任を拡張するために、もっとも包括的なプログラムだった。われわれは、〈市民憲章〉がイギリスにとどまらず、その他世界各国に、一つのパターンを示したと信じている」(Prime Minister, 1991, p.4)。期待があまりにも大きいと、良い結果といいきれないものは、これを内部の評価や報告に記録することは極めて困難である。「すべては最善のためにあるが、その最善とはかろうじて我慢できる世界の中で最良であるにすぎない」(Voltaire, Candide)。イギリス市民憲章の発布から2年半たって、責任のある大臣が実績は感動的だと報告したのは、意外ではない―なんであれ、何でもより劣っていると言うことは、政治的にはかなり高くつくものである。

 

もっとバランスのとれた見方をするのは容易ではない。しかしながら、素材の中には、省庁の「大見出し」の宣言やその他の‘決意(parties pris)’に比べて能弁ではないが、思慮に富むものもある。第一線の部局からの報告で、主として内部での使用を意図したものもあれば(Employment Service, 1994; Ministry of Finance, 1997)、学術的評価の試みもある(たとえば、Aucoin and Savoie, 1998; Peters, 19968a; Pollitt, 1995年, 1998a)。

 

 

 

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