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こうした出来事が一つか、それ以上起きると、政治的リーダーとその上級公務員は、少なくとも時的に、みずからの努力のバランスを変更する。「消火活動」のせいで、森林における長期的任務は幾分なおざりにされる。ある軌跡に沿った発展は怪しくなるか、停まってしまう。小規模の例は、国内経済の必要性から予算削減が課された時に、特定の公共サービス組織への影響が、もはや経済力がないためにサービスの向上を目指す計画を放棄することになる場合である。また例は異なるが、ある特定の「分権化により権限を付与された」マネジメント担当者の腐敗した行動が露見した場合であれば、権限を分散して行動の最低限の自由を増加する試みが停止され、中央集権的支配を強めよ、という要求に逆らうことが不可能になる。

 

組織に関わるファクターもまた、無理にほんとうにきれいなパターンの可能性を台無しにしようとする。執行には、しばしば複数の障害物があるし、こうした障害物があれば、実現の手段を変更したり、以前は熱の入っていた改革のタイプを変えて「手綱を緩める」よう政府を説得できる。メージャー首相のイギリス保守党政権は、NHS供給者の市場について唱えていた活発な競争という政策をすぐに引っ込め、市場の気まぐれさを回避するためにそれが徹底的に管理されていることを確認する策を取った(Pollitt, 1998)。オランダ政府は1990年代半ばに批判されると、その後は大きな自治権を持つZBOの創設により慎重になり、その変わりにもっと統御しやすい省庁の出先機関を好む傾向になった(Roberts, 1997)。

 

もっと基本的なことだが、様々な政府の‘改革能力’は、(第3章で説明したとおり)体制のタイプによって異なる。たとえば、1980年代には、レトリックと実際の執行との間の開きは、ひょっとするとカナダやアメリカ合衆国で大きかったかもしれない(付表Aの国別資料を参照のこと)。1990年代においては、「SEM 2000」や「MAP 2000」など印象的な響きのレトリックが用いられたにもかかわらず、欧州委員会内での実際の改革遂行の程度が問われたかもしれない。「SEM 2000」は1995年に導入されたが、1999年の年頭までに、予算や人事規則、あるいは組織構造に関わる基本的な改革は、さかんにペーパー上で、議論され、多くのスキームが構想されたにもかかわらず、いっさい行われなかった。将来的な計画と約束がいくつもあったが、それらはすべて、任期半ばにして総辞職した旧欧州委員会の後継者たる新委員会にかかっていた。

 

したがって、われわれの解釈は、全般的に、大いなる多様性が疑う余地なく存在しており、多くの軌跡が部分的であるか、途切れていることが判明したにせよ、その一方では細部の混戦の下に、粗雑だが認識可能な長期的パターンがあるということである。このパターンは、確かに、各個々の改革の手段(実績に関係づけた予算、外注など)が単一の軌跡に帰することができることを意味してはいないが(グループ分けされた国の、ある特定のグループには帰することができて、別のグループに帰することはできないとは言えない)、様々なグループの間には、たいていは長らく続く、大きな差違がいくつか存在していることだけは「確かに」暗示されている。また、これらの差違は実際、前章で分析した政治行政体制のタイプに関連することも、暗示している。軌跡、あるいは戦略という意味では、あらゆる国が、アングロ・サクソン国家の規則で試合をしているわけではないのだ―アングロ・サクソン国家のすべがそうしているわけではない―。

 

むろん、この他にも、本章を通じてずっと陰に控えていた、われわれを困らせる鋭い質問がある。これらの軌跡のすべて、あるいはそのどれかは、ほんとうに機能しているのだろうか。つまり、改革の多くの努力の結果とは、いったい何なのかということである。次章では、この、いかなる意味でも簡単とは言えない疑問と取り組む。

 

 

 

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