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こうした最小主義のレトリックに対する感情移入はレーガン大統領の言葉にも見えたが、見解とその実行との間には大きな隔たりがある。もっと一般的に言うなら、アメリカ合衆国をどこかの範疇に入れるのはむずかしい。近代化路線の強い特徴がいくつかあるが、市場化に向かう力もかなりのものがある。

 

それゆえ、われわれの見るところ、一つのパターンがある。しかしながら、その正確な像は、誇張があってはならない。本章の冒頭でも述べたとおり、シナリオはしばしば曖昧だったり、不完全だったり、あるいはその両方だったりする。だから、このパターンは、大変雑で、おおよそのものである。政治的には、政府は変わるし、将来像も変わるかもしれないので、選挙の後ではある種の改革は重要視されなくなり、別な種類の改革がその重要性を増す。1997年のブレア労働党内閣の発足は、いかなる意味でも、イギリスでの改革の軌跡を変えるものではなかったが、重要視される部分は変わった。反射的に民間部門に解決策を求める好みは、組合との話し合いに変わった。MTMのいくつかは部分的に消滅したが(たとえば、NHS)、そのまま保持されたものもある。水平的調整、もしくは「参加型」政府が重要視されるようになった。一般的には、政権交代により、イギリスはもっとも「最小主義」寄りの「市場化」を目指すグループから、「近代化」を目指すグループへと移った。同様に、アメリカ合衆国では、ブッシュ大統領の共和党政権がクリントンの民主党政権に代わったことにより、1980年から1992年まで公務員が被った不快な経験を無視するか、もしくは軽蔑するように変わった。修辞的な言い方をするなら、改革は、最小主義(とくに、レーガン政権下での)と市場化主義の混合物から脱却し、支配的な‘動機’として近代化へと変わった。

 

「杜撰さ」に対する政治的な理由の第二の組み合わせは、外部の政治経済的ファクター(図2.1、囲みA)と政治的需要(図2.1、囲みE)で示される諸々の圧力の間に見いだされる。これらは、緊急の応答を求めるかもしれないし、もちろん選ばれた軌跡に息を吹き込むかもしれない。例えば、改革の目標の基本タイプを三つを考えてみる。まず、公共支出の削減、もしくは最低でもその増加の抑制という目標がある。第二に、より高い実績―品質の向上、能率の向上など―をあげる公共サービスを設計したいという、賞賛に値する欲望がある。第三に、説明責任の完壁を期し、それゆえ―希望的観測だが―公衆の目に映る行政の合法性を強化するという目的がある。これら三つの目標―すべて、本書の選んだ10ヶ国で保持され、宣伝されているものだ―は、相互の緊張関係の中に存在している。その緊張の性質と程度は、第7章でより詳細に分析するが、ここでは、政府にとっての厄介はこれら三つの目標がきわめて短期間に吹き飛ばされることだということを指摘しておく。景気が下降に転じると、節約や削減への要求が高まる。たとえば老人ホームや公共輸送機関が低水準にあることが発覚すれば、なんらかの手を打つべきだという大衆のうるさい要求が惹起されるかもしれない。汚職事件や巨額の無駄遣い、重要な決定の秘匿が発見されれば、より高い透明性や、より厳格な説明責任手続きを求める声をあおることになる。(その好例が、1999年年頭に起きた、欧州議会が欧州委員会に対して不信任を表明するという、挑戦をつきつけることによって惹起された政治的紛糾で、この結果欧州委員会は事実上、総辞職に追い込まれた。マスコミは、これを腐敗と呼んで、激しく攻め立てたが、この嵐の生んだ結果の一つには、いくつかのEUプログラムの非効率と無効果から関心がそれるという事象もあった)。

 

 

 

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