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第二に(拡大して最初の批判に至る方法で)、たとえば、ある公共部門の一部が伝統的な官僚制のイメージに「適合」するにせよ、それ以外はそういうことはない。たとえば、イギリスでは(大半の西欧諸国と同様)、国家行政のうちもっとも高価で労働集約型の部門―保健と教育―は法律尊重型の官僚制ではなかった。それどころか、そうした部門の組織ははなはだしく職業化しており、個々の職業人が裁量権を大幅に行使することが可能である。クラークとニューマン(1997年)は、このことを「行政の独立小単位のプロフェッショナリズム」と呼んで、純粋な官僚制と区別した。第2に、オズボーンとゲイブラーの「学派」によって与えられた伝統的官僚制の説明は、一面的なきらいがある。この学派はマイナス面(「剛直性」、「中央主権化」など)を強調するが、継続性、誠実さ、それに市民=公共の取り扱いにおける公正さへの強い関心など、プラス面は無視するか、控えめにしか扱わない。フードは、彼のNPMに関する独創性に富んだ論文で、これらを「テラ型:コア・ヴァリュー」と名付け、たとえNPM改革が倹約と効率を向上させたにせよ、これらの利益は「誠実さと公正な取引、安全、回復力を保証する費用の支出をもたらす」可能性があると評した(Hood, 1991, p.16)。

 

われわれの結論は、「伝統的モデル」の欠点というのはおとぎ話で、なんら現実にもとづいていない、ということではない。読者のみなさんも、個人的な体験を通して、ひとを激怒させるほど遅く、かつ非効率的な方法で働くという、有名な(あるいは秘密の)官僚制の能力を証言できるはずだ。しかしながら、産業化社会の政府があらかじめ公共部門を操作するという考えにウェーバー流の伝統的な官僚の流儀に一足飛びに飛びつくのは、あまりの飛躍―それに不当―だし、今では、重大な損害をこうむることなく近代化された新しい組織に移行できるし、そうなれば過去の問題をすべて回避できる。本書はこの先も継続して、公共部門は源がすべて同じではないこと、そしてすべて同じ方向に向かうわけでもないことを示す。近代化には利益もあるが、損失もある場合が多い(このテーマにとくに関係が深いのは、第7章である)。各国はそれぞれ異なり(いくつかのグループやパターンはあるが)、各公的領域では各部門がそれら自身の独特の組織文化を持っている。単一の、そして今ではすっかり古くさくなった‘旧体制’という考え方は、「大改造」された政府を確実に届けるというグローバルな処方箋があるという示唆と同じで、もっともらしくない。

 

3.10 結びにかえて

 

本章の主たるポイントは簡単に要約できる。現行の政治行政体制は、改革実行者が採用する選択肢にも、あるタイプの改革を実現する時の実現可能性にも(実現可能性と好ましさ―図2.1の囲みIと囲みJ)その双方に重大な影響を及ぼしそうである。国家構造、中央行政府の性質、閣僚と高級官僚との関係、優勢な行政文化、助言の獲得ルートの多様性はすべて、どの理念が取り上げられるか、その後いかに活発に、広範に実現されるのかに対して影響力を持つ。ある種の体制は、NPNの「実績主義」や市場選好理念に対してとくに門戸を開いているかのように見えるし、とくにオーストラリアやカナダ、ニュージーランド、イギリスといった「アングロ・サクソン」諸国はそうである。しかしながら、オーストラリアやカナダ―ともにかすかに「ウェストミンスター方式」の影響を受けているが、ともに元からの連邦制―は、この点、門戸開放と閉鎖の中間あたりに分類される。

 

 

 

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