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図2.1に示されているのが、われわれの一般モデルである。ここに示されているのは、われわれが多くの国々における改革の過程について知り得たことの総体である。われわれが苦労して確認し評価しようと努めた、複雑きわまりない現実のプロセスを捉えそこなうことがない範囲で、できるかぎり簡略化したものである。それでも十分に複雑であり、多少の解説が必要だろう。

 

2.3 作用している、いくつもの力

 

まず、モデルのおおざっぱな構成について考えてみよう。というのは、この構成こそ、われわれの重要な仮定条件と考え方とのいくつかを具体的に表現するものだからである。図の中央にあるのが、エリート集団による意思決定の過程である。これが中央に来たのは偶然ではない。われわれが関心を持った変化の大半が有力政治家および/もしくは上級官吏によって計画され実行されたという点において、「トップダウン方式」が優勢だったというのが、われわれの暗黙の理論の一つだからである。むろん、(この図において明示的に認められるとおり)これらのエリート集団は他で発生した理念や圧力によって大きく影響されるかもしれず、しかも彼らの計画が予定外の発展を遂げることもあるかもしれない。それでもやはり、パブリック・マネジメントの改革は、―中央政府においては、まちがいなく―、支配の下層よりはむしろ上層において始まる傾向のあるプロセスである。(囲みI、J)から、エリート集団の、どのような改革が‘望ましい’のか、どのような改革が‘実現可能’なのかについての認識が区別されていることに注目してほしい。この区別は、かつてミック・ジャガーが「(たとえ大統領か首相であっても)つねに自分のほしいものを手に入れるのは無理だ」言ったように、政治の営みの陳腐さを反映している。変化に逆らう障害―経済的にであれ、人間工学的にであれ―もあれば、保守的な力もある。改革の実行者はみずからが実際に提案したことを上回るものを欲する立場にいることが多いが、承諾される可能性がより高くなるよう容器を貧弱にすることで、みずからの熱望を「探知」する立場に立っていることも多い。また、なにが望ましいかについて認識することは、なにが技術的に最適かをただ確認するだけではない。そうした認識は、なにに実現可能性があるかについての認識に等しく、技術的なことであると同時に、きわめて強く「文化的」なことでもある。

 

モデルにおけるエリート集団の意思決定が図の中央に来ていることについて、一般論としておさえておくべき点がもう二つある。まずは、意図において総合的であるべき改革構想の原則より、むしろ例外をおさえておくべきだということである。改革の実行者は、あれこれの組織や計画、時には一部門の全体(保健、教育)を改善しようと試みるが、公共部門の慣行慣例を全範囲にわたって一気に改造しようとすることはめったにない。ゴッディン(1996年、28ページ)は、この点をよく表現している。「一般に、たった1つの設計図もなければ、たった一人の設計者もいない。部分的な設計にローカルな試みが無数にあって、それらが互いに齟齬を来しているのだから、制度の設計を賢く構想しようとするなら、この事実を考慮に入れなくてはならない。」ニュージーランドにおける改革は、全体が整合性を持つよう構成され、(少なくとも当初は)少人数のグループによって推進されたという、その限りにおいて、異例だったが、この改革でさえ、時間がたつと、多数の、実行にかかわる検討事項によって、その背後に存在した理論の純粋さが損なわれた(Boston et al., 1996, pp.81-6)。

 

 

 

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