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本書はこの問題が明らかにされたところで、達成されたは相違について、どんなことが知られているのか、そうした知識はどれほど確実なのか、についての考察に移る。ここでは、様々なタイプのデータを取り上げる。OECDやその他の国際機構によって提供された公共支出の趨勢や世界各国の行政事務の規模の変化など、マクロの比較データがいくつかある。しかしながら、この種のデータだけでは、それがもたらす解答と同じ数の疑問を提起するだけであるため、特定の国々について、より深く掘り下げ、検討し、固有の評価を斟酌し、可変的な理論を解釈する必要がある。ある意味で「ハード」なデータも「ソフト」なデータも欠如しているのは顕著である(Pollitt, 1995)。それ以外の方法として、まず一つの情況を構築することから始めることも‘可能’だが、この方法は、異なる調査者が、異なる目的で生み出した、異なるタイプの証拠を注意深く評価し、組み合わせることによってのみ可能となる。第5章では、この方法の完遂を模索する。

 

(本書の他の章もそうだが)第4章と第5章は特に、各国、および付表Aに提示されている欧州委員会についての、事実にもとづく年代記的な内容を作表し、これを証拠としている。読者は‘集大成’を参照しながら、本書を読み進む。われわれは本書に正確かつ最新の情報を掲載すべく全力を尽くしたが、それと同じように、そうした選定をすることにより、他の人々が重要と考える事項を除外せざるを得ないこと(および、気づかずに誤診や反論の可能性のある解釈をしていることもまた)承知している。われわれは本書が都度改訂されることを希望しているので、かかる問題―あるいは、ほんとうに、これ以外のどんな問題―についても、読者のみなさんからお知らせいただければ歓迎する。

 

第6章からは方向を転じ、別種の活動に入る。パブリック・マネジメントの改革モデルの構築や同定、分類から離れ、過去20年間の記録の、より熟考された解釈に入る。第6章では、マネジメントの改革が政治家や政治の役割に対する意味について検討する。たとえばNPMの見解のうち、いくつかは将来の政治家を、主として戦略の決定および指標となる価値の定義を行い、執行上の事項は実績志向の事業管理責任者にゆだねるものと想定しているかに見える。だが、大半の政治家―もしくは政治システム―は、かかる役割に適合しているのだろうか。戦略家として十分なものを備えているのだろうか。大所高所にとどまり、みずから細部を探求する喜びを禁じることを‘欲する’だろうか。大規模な新計画を発足させるべき範囲が縮小したかに見える時代にあって、そして政府に対する公衆の信頼がかげりを見せたことを多くの指標が示している―かつマスコミの圧力がかつてないほど強烈な―時代にあって、政治家は、マネジメントの改革にみずからが関与することに対して、なにを利益とみ、何を不利益とみるのだろうか。

 

第6章では、「上」から、もしくは「外部」から行政組織を眺め、政治家についての展望を取り上げたとすれば、第7章では同じ問題のいくつかを「下」もしくは「内部」から検討する。第7章では、行政の限界という問題が提起される(Hood, 1976; Pressman and Wildavsky, 1973)―われわれがマネジメントの改善に対して、妥当に期待できることはなんだろうか。「市民への権限移譲(原註1)」(中にはこれを選ぶ者もいる)なのだろうか。それとも行列をもっと短くすることなのだろうか。マネジメントの改革がなぜ、「飛躍的な大前進」とはならず、むしろ拮抗する諸条件の取捨選択だの、奇怪な代替案の限界付近での比較考量だのといったものにならざるを得ないことが多いのか、これには理論的および/もしくは絶対的および/もしくは経済的理由があるのかもしれない。

 

 

 

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