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私はちょうど2週間前に誕生日を迎えました。今日、ここには明治生まれの方がどなたかいらっしゃるでしょうか。いらっしゃればちょっと手を挙げてください。だいたい前から3列目ぐらいまでに明治の人は座るのですが、今日は若い人が座っておられまして、あんまりおられないようですね。そうすると私は、ここに1000人余りのご出席があるとすれば、1/1000以下のほんとにマイノリティではないかと思うのです。私は健康で、ゆうべも、明日からの国際学会で講演をする原稿ができないので、今朝6時まで原稿を書いて、7時まで1時間寝て、それからやってきたわけで、平時はもっと声がさわやかないい声なのですが、今日は声の調子があまりよくないのです。

私は、今までこそこのように元気にしておりますが、結核のために1年療養し、8ヶ月の間、トイレにも行かれなかったその苦しみ、そのときの背中の痛み、母が腰に手を入れましてね、そうして腰を浮かすととっても楽になる。しかし、ひと晩中、そうしてもらうことは気の毒だから、「お母さん、もういいよ」というのです。本当はやってほしいのですけれども、「もういい」と言ったのですが、母は手を差し入れながらずっとそこで居眠りなんかしている。それが私の22歳のときの経験です。

私は自信をもっている友達と競争しながら医学部に入ったのですが、みんなよりも1年遅れざるをえない。そしてこれが回復しても一人前の医者になるのは無理ではないかと思って、非常にしょげました。そのときの心境を3ヶ月後に『憂鬱』という懸賞小説に書いて出しましたところが、「改造」という一流の雑誌ですが、受け取ったとも、通ったとも、落ちたとも、ぜんぜん反応がなかったので、それから小説を書くのをやめました。

ところが、ふとしたことで、私が劇をつくるハプニングが生じました。つい4、5日前に見本が出てきたのです。「『葉っぱのフレディ』から学んだこと」という題で、『葉っぱのフレディ』という子どもの絵本を1時間半ぐらいの劇になるように脚本をつくりまして、今月の29日の日曜日に東京でその劇が上演されるということになってしまったのです。私の尊敬する小児科医、神戸のパルモア病院院長の三宅先生は、ご自分の病院で赤ちゃんが生まれると手形を取って、そのモミジのような手形が15歳になったらどのように成長したかということを、お母さんと子どもといっしょに先生のところに来て無事に成長したことをお祝いするのですが、その三宅院長を私は思いだしながら、その先生のイメージでこの劇をスタートをさせているのであります。葉っぱが成長し、夏にはその影が多くの村人のための憩いの場所になる。そして秋になるときれいに紅葉して、「ああ、きれいだなあ」とみんなの目を楽しませる。そして夜になるとそこで男女のデートもある。そういう葉っぱの世界から人間を見たときに、人間にも自分たちと同じように四季がある、春、夏、秋、冬がある。そして葉っぱが散るように人間も死んで、お葬式もある。そういうようなことをイマジネーションしながら、原作に忠実に脚本をつくったのです。

この表題にある言葉はラテン語でありますが、この「memento」というのはメモリーするという、覚えるということ。「mori」というのは死ぬという言葉です。「死のことを覚えなさい」と。死亡率というのはモータリティというように表現しますね。人間には必然的に死があるということを子どもの小学校の時代から教えなさいということです。

 

 

 

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