日本財団 図書館


『葉っぱのフレディ』というアメリカの哲学者が書いたこの童話は、子どもにも、葉っぱがだんだん成長し、そして緑が深くなり、ついには自分の色素で自分を色とりどりに染めて、そして最後には散って、枯葉になって、雪の下に埋もれる。その埋もれた葉っぱの養分と水分は再び根に吸収されて、そこで新しい芽が出る。命は循環をするのだと、そういう哲学をわかりやすく書いたものです。バスカーリアという哲学者は、この「memento mori」ということをわずか20分の童話で示したわけであります。森繁久彌さんは、58歳の一人息子を癌で失われました。奥さんはずっと前に亡くしています。そして一人息子が亡くなる前に、「お父さん、ぼくは間もなく死ぬんだよ」と突然言われたときの森繁さんの心のなかはどうだったでしょうか。そして息子さんは間もなく死なれた。その非常に悲しんでいたときにこの『葉っぱのフレディ』の童話を読んだのだそうです。ところが、この本を読んでみると、「そうだ息子は死んだのではない。私の体に再生されているのだ。私はこの童話を読んでから命を与えられたような気持ち、息子が生き返ったような気持ちになって、またステージに出る元気が与えられた」と、そういう気持ちになられたのでした。そしてその朗読は東儀さんのすばらしい音楽にのせてCDになり、そしてこれが10万部も売れたというのです。そういうことを記念して私は森繁さんと対談をしました。私より森繁さんは3歳若いのですが、森繁さんは私の手をグーッと握って、私は接吻でもされるのではないかと思ってハラハラしたのですが、そういうあふれるような感情で対談をしました。

それ以来、私はこれは日本中の人に読んでほしい、あるいは劇にして見てほしいというようなことを願いながら、きわめて急いで脚本をつくったわけであります。これまで3200の医学論文を書いた者としては、こちらのほうは思いのままに書いていいのですから、こんな楽なことはない。医学論文を書くときには、緊張をしてデータを集めていろいろ苦心するのですが、どのようにラブシーンをやらせようかということも勝手にイメージでふくらませることができる。バスカーリアの精神が本当に残ることだけを意図して脚色をしたわけでございます。

バスカーリアは、子どもにも死を教える、したがって大人にも、おじいさん、おばあさんにももちろん教えなくてはならない。この本は死のことを考えようとしない大人にもぜひ読んでほしいというように序文に書いているわけであります。

死のことは、なかなか私たちは考えようとしないのですね。あまり気持ちのいいことではないから、なるべくそれは忘れようとするのです。私は2週間前に89歳になりましたから、平均余命からすると3年で死ぬことになってしまうのです。皆さんはもっと若いから、あと20年、30年と生きられるでしょう。今、75歳の人はだいたい平均して10年、運がよければ15年は生きるでしょう。しかし私は3年もないというわけですから悲壮にならなくてはならないけど、皆さんのお顔を眺めながらお話ししていると、何となく「恐れなくてもいいのではないか」という気持ちがする。『葉っぱのフレディ』を読んだ小学校の2年、3年生の感想では、死ぬということは恐ろしいと思ったんだけど、変わるということは宇宙のすべての約束なんです。だから変わることは何も恐れなくてもいいと思ったというようなものでした。ただ、どのように私が私の色素で染めて散るかということが私たちの宿題なのです。それさえ考えれば、死ぬということは恐ろしいことではないということをこのストーリーは教えるわけであります。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION