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自分の死というものは、いくら日本人の平均寿命が男女平均して80歳を超えたとはいえ、80歳まで必ず生きるという保証はなんらないわけです。トルコにおけるこんどの大震災のようなことが起こりますと、若い子どもや青年でも死なざるをえない。そしてそれと同じようなことが、すでに4年前に、阪神・淡路の大災害でも起こっていますし、またここ長崎では、原爆のために多くの人が亡くなって、その死は避けることができなかった。

こういうように死というものは私たちが選ぶことができない。しかしながら、そのなかでも切羽詰まって自殺をしなくちゃならないような人もいる。日本の現在は世界第二の自殺国で、1998年には三万人余りの人が自殺したと報じられています。毎年亡くなる日本人は90万人余りですが、そのうちの1/30は自殺、しかも中高年者の自殺が多い。「苦労して、何とか今日まで生きたけれども、もうこれでは生きていく元気は出ない。死んだほうがましだ」といって死を選ぶ老人は、少なくないのです。

そこで、これは私たち一人ひとりの問題として考えなくてはならないわけであります。

今日の私の演題は「いかに死ぬかは、いかに生きること」としました。手話をやって下さっている人は、今日の私の演題を手話で表現をすることは、たいへん難かしいことと思います。私もちょっと手話を見させていただきますが、「いかに死ぬかは、いかに生きること」…勘のいい皆さんは手話に慣れておられなくても、おそらく全体の意味が何となくおわかりになったかと思います。今日のテーマは、私がお世話をして亡くなられた患者さんから、そしてまた三つ四つの子ども、あるいはまた 100を過ぎたお年寄りの方の死から、私が今日まで学んできたものであります。その学びを私は皆さんにお話しして、どのように私たちは死を体験することが望ましいのかをご一緒に考えていきたいと思うわけでございます。

人間の死というものを、日本人はだんだん考えなくなったわけでございます。というのは核家族になってまいりましたから、子どもは、おじいちゃん、おばあちゃんといっしょに住まないから、その老人の最後を看取ることもできないし、また兄弟がありませんから、兄弟の死にあうことはできない。私は、小学校時代、大正のはじめですが、夏休みが終わって学校に戻りますと空席がある。どうしたのか。一郎くんは夏休みに疫痢で死んだと。

 

 

 

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