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経済秩序よりも一段と重要な国際秩序は、恐らく政治的秩序である。それは国連海洋法条約の交渉の対象論点でもあった。政治的秩序は、その安定時には、高度な安全保障に法外にコストを掛けることなく相互の交流が行なわれ得る環境を創設することにあった。しかしながら、第三次国連海洋法会議においては、一部の例外を除き、現行の国際政治秩序が否定されることはなかった。会議参加国から例外的に否定的な動議が提出されることがあっても、その動議に同調する国は殆どなかったので、影響は極めて少なかった。また、否定的な見解を頻繁に述べる者が居ることは居たが、それは非政府機関9のオブザーバー(訳注:決議権を保有しない)に限られていた。会議参加国間で形成されつつあった合意に基づいた規定が成立することになれば、独立した国民国家間の国際政治秩序の基本が改定されないまま残されてしまうとして、理想主義者は不満を漏らしていた。マルタの国連大使であったパルド(Arvid Pardo)は、たいてい「国連海洋法条約の父」と称されているが、その彼が、第三次国連海洋法会議の初期の段階で、会議に参加した国民国家に向けて、グループから離れて一国家としての権利を放棄するように、相互に独立した行動を採る権利を放棄するように働きかけた。しかし、この働きかけのほかには、誰も権利の放棄を真剣に求める者はいなかったのである。結局第三次海洋法会議に参加した各国に対して、自国の利益に基づく個々の行動を諦めさせることはできなかったのである。

 

伝統的な海洋法は二つの側面を有している。それらはいずれもグロチウスにより記されており、一つは、グロチウスのMare Liberrumの系統を引くもので、これは海洋の自由のもと、海域への自由なアクセスを主張するものである10。しかし、グロチウスの主要な著作であり、もう一つのレジームの概念であるDe Jure Belli Ac PacisLibri Tres11では、グロチウスはむしろ「知的な先駆者12」である。ボーディン(J.Bodin)が「Concerning the State (1576)13」の中で国家主権についての再定義を行なった後、グロチウスは、―当時、パアフェンドル(Pufendorf)もそうであったが―独立国の世界秩序を示し、それは「国家のファミリー、即ち主権国家の集合体では、超国家的な支配者は存在せず、そのコミュニティーの外部の権威には服従する義務はない」というものであった14。グロチウスは、「国家のファミリー内において自然法は、国力等の大小によって法的にいかなる不平等もない」のであるから、これらの主権国家をその規模、或いは状態に係わりなく法的には相互に平等のものと見ている15。これが現在我々が引き継いでいる国際政治秩序であり、第三次海洋法会議では変えられないまま残されている。

 

 

 

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