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そのため、まず沿岸地方に港町が開け、やがて輸出用の天然資源を提供した熱帯降雨林のジャングルヘの川筋に村々が成長していった。このような歴史的展開によって、アジアにおける“海の世界”は、フロー(flow:流通)を中心に発展を始め、この伝統は21世紀を迎えようとする今日に至るまで続いているといえよう。

ところで、これまで触れてきたアジアにおける“海の世界”の中心部分である東南アジア多島海地方の生態系と社会的構造との関係について考えてみよう。それらは、アジアにおける“陸の世界”である“中国的”世界と“インド的”世界とは、きわめて対照的といえよう。

まず、豊饒な自然は人々を飢餓から救っている。分配関係が不平等な今日においてさえ、島喚部だけではなく、東南アジアを全体的に眺めると、目を覆いたくなるような貧困は、あまり見当らない。貧しい人々でも、餓死をしたということはあまり耳にしたことはない。

さらに注目すべきことは、一年を通じて高温多湿なこの地方の生態系が、ユーラシア大陸中央部を根城としている遊牧民たちの侵入を妨げてきたことである。乾燥にして、冷涼な自然環境にはぐくまれたステップの遊牧民やかれらが駆使してきた馬は、東南アジアの高温湿潤な生態系には耐えられなかったのだろう。そこは正に熱帯病の蔓延していた土地なのであった。たとえば、13世紀に“中国的”世界を席捲し、日本列島にまでその侵略の鉾先を向けたモンゴール帝国でさえ、ベトナム地方への侵攻は断念せざるをえなかった。かくして、ユーラシア大陸を席捲した“ステップの暴力”も、東南アジアの地には、ついに及ぶことはなかった。

このように自然環境や社会環境に恵まれ、衣食住といった生物的必要条件と安全という社会的必要条件にも恵まれた人々は、これらの条件を欠いている“中国的”世界や“インド的”世界の人々と、世界観やそれにともなう社会組織の点で異っていたとしても不思議ではなかろう。

アジア多島海の住民たちだけではなく、東南アジアの大部分の地方から日本列島にかけての住民たちは、程度の差こそあれ、自然環境にも社会環境にも恵まれていた。そのため氏族や部族、さらにはカーストといった第二次集団のような蓄積体系や防衛組織を発達させる必要がなかったのであろう。むしろ、家族といった第一次集団やムラのような近隣集団の中に安住し、社会のシステム化にあまりエネルギーを費すことがなかったと思われる。そのため、自己もしくは家族中心型の非系的(双系的)3]軟構造社会を形成したのではなかろうか。

 

 

 

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