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2-3-5 「アジアにおける“海の世界”と“陸の世界”─ひとつの文明史的考察」 1]

 

はじめに

この小論は、アジアにおける“海の世界”と“陸の世界”について、文明史的視座に立って、巨視的に比較をおこなおうとするものである。

ここで“海の世界”というのは、島艇部や半島部のおもに沿岸地方を意味している。その典型的イメージは島喚部東南アジアの多島海地域を指す。この地域は中国文明圏とインド文明圏の中間に位置し、古来、それらの橋渡しに場を提供してきた。さらに、西アジアからのイスラーム文明も伝わり、世界文明の十字路としての役割をも果たしてきたのである。

一方、“陸の世界”とは、アジアにおける古代文明の故郷である“中国的”世界と“インド的”世界2]を意味している。これらの地域が中核となって、それぞれ東アジアと南アジアの個性的な二大文化圏が形成されたのである。

それでは、まず“海の世界”について述べることにしよう。

 

1. “海の世界”

すでに触れたように、ここでいう“海の世界”とは、島喚部東南アジアの多島海地方である。そのため、面積の割りには海岸線がきわめて長い地域として知られている。これらの地域は、13世紀頃から、イスラーム文明の洗礼を受け始め、今日では、人口のうえで、世界最大のイスラーム文化圏を形成している。

この地方の大部分は、生態系からみると、熱帯降雨林地帯に属し、豊饒なる自然に恵まれている。しかしながら、その一方で、周年高温多湿な生態系は、植生の成育にはきわめて好都合であると同時に、熱帯性の疾病の温床ともなっている。とりわけ、それらを媒介するハエや蚊が多量に発生するために、人々の生活空間は、広大なジャングルの中よりは、風通しのよい川筋とか海岸地方に限定されていた。そうしたことがこの地方が小人口世界になった原因のひとつなのかも知れない。

ここの先住民たちは、熱帯降雨林の豊かな天然資源や鉱物資源を採取したり、狩猟や漁業を中心に生活をしていたのである。

ところで、アジア多島海の人々が世界史に本格的に登場し始めたのは、前にも触れたように13世紀頃になってからである。その頃になると、この地方にイスラーム文明をもたらしたアラブの商人やインド商人たちが出没を始めた。かれらは、この地方の森林資源や鉱物資源を目当てにやって来たのである。

 

 

 

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