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島国であるから島の集合体をとり囲む多島海環境についての海況、航海、漁法、民俗等のノウハウは得られたのであろう。和船の技術は評価も高い。漁法にも近海漁業の資源保全の面からみても生態学的に秀でたものが多い。

鎖国期間の長かったことを考慮に入れると、文明開化の波によって、旧来の日本の海の研究は、押し寄せる輸入学の荒浪に打ち消されがちであったことは否めない。それ故に、日本プロパーの海洋の学は、海外に向けて情報発信をするポテンシャルを有しなかったことは確かである。関連分野としての伊能忠敬の地図造りのみが独り気を吐いているといって過言でない。

日本の社会が近代化されたのは偏に輸入学の力によっているから、以後の海洋の学はひたすら追いつけ型であった。戦争という局面をはさんで、海の研究は空と共に戦略型に流れていったことは不可避であったといえる。科学技術的には、戦争という事態を通じて発展するのが歴史の通例であり、第一次、第二次世界大戦を通じて、世界の海洋学は大きく発展した。

戦後、科学と科学技術は、地球物理学や宇宙科学の分野において驚異的発展を遂げることになるが、海洋学はその一つの先端に位置していたと言って誤りでない。古地磁気学、年代測定学、深海底ボーリング、音波探査、海洋観測船の性能の飛躍的向上等々、多くの関連分野の発展によって、信頼に足らぬ空想的仮設とさえ後指さされたA. ウェゲナーの大陸漂移説(移動説)が、プレートテクトニクス理論として見直され、海の学は格段にスケールアップされる事態に至った。

科学の第2のルネッサンスとも評価されるプレートテクトニクス仮説は、その途上で大洋底拡大説と呼ばれるステップを経由しており、海洋の学は、単なる水界をターゲットとするものではなく、水の容れ物としての底付きの海洋、そしてそれを囲む大陸と不可分の関係の学にまで発展したのである。

深海探査技術の進展により、中央海嶺やホットスポット、深海底での熱水湧出孔、太陽エネルギーから独立したエネルギー源で生きる特有の生物群など、新事実の発見が相継いだ。サンゴ礁とその基盤の海山についても、原水爆実験サイトとしての解析が進み、ダーウィンのビーグル号航海やデーナの理論が、実証的に検されることになった。

広域にわたる海洋生物調査により、各海域や海流の特性が容れ物や底層流ごと理解されるようになったのも大きいが、同時に、それは現在という狭い枠を必然的に取り払い、タイムスパンを広げて、古海洋学、古環境学の域にまで至った意義が大きい。

こうして、海洋の学は、海洋学から海洋科学(Marine sciences)へと広領域科学の性格を獲得していったのである。

 

 

 

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