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看護者はナビゲーターに徹し、結果を求めない、変化させようとしない、問題を解決していくのは私たち医療者ではなく、患者・家族なのだということと、問題解決に要するスピードは今までの時間の流れでしか歩めないということを念頭に置いて関わることが必要である。これらのことや、どれだけ相手の状況に自分を投入できるか、認めることができるかが今後の課題である。

ターミナル期においては患者さんが亡くなったときから、ケアの対象が家族に切り替わり遺族ケアとなる。そのため、患者・家族を一つの単位として入院時よりケアしていくことが、その後の遺族ケアにも欠かすことができない。残り少ない時間であるからこそ、後悔することができるだけ少なく家族の苦痛を軽減できるように、家族が納得のできる関わりが重要であるということを学んだ。

 

希望について

 

希望という言葉が何度か登場した。今回研修を受講するにあたり、希望とは何かを知ることが課題であった。治らない、苦痛がある中で本当に人間は希望がもてるのだろうか、医療者としてその人の希望を支える方法はあるのだろうか、死の時まで本当に希望は続くのだろうかという疑問があった。

私自身の希望のイメージは、「わくわくする期待感」で、どちらかというと未来に対する思いが強い。

希望とは、「生きていくためにはなくてはならない、もっとも源初のもっとも必須の活力」(Erikson)、「目標に限りなく近づくという期待感」(R. Twycross)、「“一般的な希望”と“特定の対象がある希望”がある」(Dufault)としている。現実的にしたい欲求・期待だけでなく精神的な・Spiritualなもので、現在生きていること、自分が存在していること、自分の人生が完成する、亡くなった後の永遠の存在を感じる、未来の方向だけでなく、過去、現在全ての方向に存在するものなのかもしれないと感じた。

ここで気づいたことは、私自身が人間の生命は限られたものであると知りながら、否定的だったり消極的なイメージを死に持っているということだ。疾病は“治る”“治らない”のみの捉え方で、慢性疾患をどう捉えるか考えられていなかった。また、患者がどう考え、何をどう感じているのか、まず知ることを怠っていた。予測するばかりで、誠実に患者と向き合っていなかった。これは、いくつかの講義と、事例検討のグループワーク、実習でのある患者との関わりの中から知ることができた。やはり何においても患者に尋ね、患者の主観を信じ、患者の体験を理解することから始まると実感した。

 

おわりに

 

治療、回復できる時期の患者にとって入院は通過点にすぎないが、ターミナル期の患者・家族にとってはこれからの時間が最後の人生のまとめの時間であり、残りの時間をどう過ごすかで、これまでの生き方や、家族のこれからの生き方に大きく影響を及ぼす重要な時間となる。このような時期に関わる医療は、日内変化が大きい全身状態を捉え、まだ十分には科学的に解明されていない苦痛症状の緩和を積極的に行い、質の高い看護技術を提供し、人間として死生観を持ち誠意を持って関わることが必要となる高度な医療であると感じた。

また講師の先生、ホスピスの方々とお会いして専門的に追求したり、常に新しい情報をとらえ、研究し続け、全国に緩和ケアを根付かせようと努力されていることを知り感銘を受けた。

緩和ケアはこれからどんどん変化し続ける分野であるため、新しい情報を把握しながら、患者との出会いを大切にし、質の高いケアを目指していきたい。そして23名の研修生と出会い、これまでの研修では感じたことのないお互いを認め合う研修中の環境に心地よさを感じ、それぞれの立場や抱えている問題などを話すことができたことも今回の貴重な体験であった。この出会いを大切に今後も刺激し合える関係でありたい。

最後に、研修中、多くの学びを提供していただいた講師の先生方、看護教育研究センターの金子先生はじめ関係者の方々、実習施設ピースハウスホスピスの方々、23名の研修生の皆さま、また、この研修の機会を与えていただいた昭和大学藤が丘病院に感謝いたします。

 

 

 

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