日本財団 図書館


われわれは、患者を尊重すべき人間と見なし、自律したひとりの人間と扱わなければならない。そして、われわれの看護行為が常に倫理上どうであるか見極める必要がある。

当然、どのような患者であっても全ての患者において、考えていかなければならない問題であるが、倫理学とは人間全体を「ひと」とみなし、「ひと」の生き方・あり方を考え直そうとしているものであるが故に、QOLを高めることが全てである。終末期の患者に対しては特にひとつひとつの行為が倫理上どうであるか問われてくるのであろう。

実習中にある患者に点滴をすべきか、どうかという問題に遭遇した。患者は以前より延命になるのなら点滴をしたくないと言っていた。いよいよ食事摂取ができなく意志疎通が困難になったとき、家族は点滴を希望してきた。医療者間でもちょっとした論議になった。結果的に点滴は最後まですることはなかった。そこで学んだことは、点滴をする、しないでなく、「その行為がこの患者に対しどういう意味があるのか」、そのことを考える重要性である。生命倫理とは技術や知識ではなく、患者そのものをみつめ、「人間の人間らしさ」を追求するものであると考える。そして自分がしている行為が、倫理的にどうかと常に吟味している思考回路でなければならないことを学んだ。

 

○ コミュニケーションとカウンセリング

・コミュニケーションとは、他の人とお互いの感情や考え、態度や行動を伝達し合い、相互に理解することである。

・コミュニケーションを通して、患者の代弁者になる必要はなく、自己表現を助ける。

・できるだけ、意図的・積極的に患者が自己表現できるようにかかわるごとが大切であり、これが治療的関係を築いていくためのコミュニケーションスキルである。

・看護婦自身が患者の気持ちをどれだけ変化させる存在なのかを意識し、看護婦の存在そのものが患者を支えていく事実を知る。

・プロとして、患者の感情を引き受けていかなければいけないという覚悟を示さないといけない。

・感情の明確化

コミュニケーションスキル

・積極的傾聴・感情表現を促し、適切な情報を知るための自由回答方式の質問をする

・感情の明確化

・要約

・非言語的コミュニケーション

・沈黙

 

終末期患者は自分の存在価値や死への不安を抱いている。日々の不安や恐怖と戦いながら生きている。故に末期患者を支えるための患者と医療者間のコミュニケーションには、つねにこの問題への取り組みが含まれる。いわゆるスピリチュアルケアである。この問題は医療者が答えを導くものではない。医療者は上記のコミュニケーションスキルを十分に使い、患者に寄り添うしかないのである。そのことにより患者自身が自ら答えを導きだしていかなければならないのである。そして、最後の瞬間まで生ある人として人間そのものをみつめ、コミュニケーションを放棄しないことが看取るものに要求されていると考える。

実習において学んだことのひとつとして“沈黙”がある。患者の気持ちの整理をさせる沈黙。体に触れることで共にいるということを伝えるためのあえて言葉にしない沈黙。どの看護婦も沈黙のときをとても大切にしていた。言葉を交わさずとも、自分の存在そのものが患者をケアするという大きな責任を負うことを学ぶことができた。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION